|
● 相田みつをさん からのメッセージ (英文校閲:Frances
Ford)
その ときの 出逢いが
Your encounter with someone at that
moment could be a decisive
occasion.
ここは 孤独なところ 自分が 自分になる ところ
This
is a solitary place where you can change yourself into what you should
be.
いまここに だれとも くらべない はだかのにんげんが わたしが います
At
this moment there is a half-naked man here who doesn't compare with
anybody else: that is
me.
自己顕示 自己嫌悪 わたしの こころの うらおもて
Self-admiration and
self-hatred comprise the two sides of the same coin in my
heart.
花には人間のような かけひきがないからいい
ただ咲いて ただ散って ゆくからいい
ただになれない 人間のわたし
I
like flowers because their life is not strategic.
I like the
way they just bloom and fall.
I cannot follow
since I am
human.
|
|
● 文頭から読む英語(3)Slash Reading (Sight
Translation)
3 頭から読む英文マインドの事例
3.
文と文とをつなぐ接続の語句 文と文とをつなぐ接続の語句に注目すれば、文意が予測できるので、 文頭から意味をとらえてゆける。接続の語句は、それが接続詞であれ、 副詞句であれ、これから述べる内容の「予告信号」の役割をしている。 例えば、but
やon the other hand
が来れば「逆接」である。 また、談話[文章]中のバリエーション表現に注目してゆけば文脈が クリアになるので、返り読みしないで文意をとらえてゆける。何が何 のバリエーション(繰返し・言い換え)表現であるのかを意識してとら えてゆくと、左から右へと文の流れてゆくままに意味をとらえられる。
(例文) Life
for a young person today is different from life for a young person in the
past. Some of our worries about basic survival have been eliminated. In the
past it was necessary to spend much time at work or at war. Now there is
wealth and leisure and peace that didn't exist to such degree in the
past.
(説明) @ Life for a young person /today /is different /from
life for a young person /in the past. A Some of our worries /about basic
survival / have been eliminated. B In the past /it was necessary /to spend
much time / at work or at war. C Now /there is wealth and leisure and
peace / that didn't exist /to such degree /in the
past.
@は、作者の見解である。「今日の若者の生活実態は、昔の若者の生 活実態とは大違いである」 Aは、見解の裏付けである。「はたして生存して行けるのか
などと いう心配はもうあまりしなくてもよくなってきているからだ」 B 「昔は
仕事や戦に時間の大半を使わなくてはなら なかったからだ」 C 「今は
富・暇・平安の世の中だからだ」
センテンスのレベルを超えて、文章全体をとらえてゆくためには、 つなぎの語句は、とりわけ、大切な標識である。伝統文法では、副詞 や副詞句に関するセンテンスを超えた接続表現については、あまり、 系統だった説明がされていない。文脈をつかむうえで、副詞や副詞句 の接続表現は、接続詞と同じように「かなめとなる、手がかりとなる大 切な信号標識」である。
上例のBの文頭にあるIn
the pastやCの文頭にある Now をおさえ れば、それぞれの文が何を語り始めるのかを予測することができる。 また、@のなかの today
が、Cのなかでは now に言い換えられて いることにも注目してゆけば、全体の文意はいっそうクリアになる。
大島
真先生は、次のような「副詞の接続表現」を 一覧にされておられる。
・順接: also, moreover, in addition,
besides,… ・推移: meanwhile, before that, later on, next,… ・訂正: or rather, at
least, to be precise,… ・事実: actually, in fact, as a matter of fact,… ・因果:
therefore, for this reason, as a
result,… 等々。
こういういわば「予告信号的な語句」は、それが、副詞句であれ、副 詞であれ、接続詞であれ、英文を頭から読み取ってゆく際の推論、予 測に極めて大きな援護をしてくれるので、これに注目してゆくことに よって、文頭読みにはずみをつけてゆくことができる。
(例文) Another
difference in modern times is the awareness of alternatives for living. In
the past there were few choices available to young people. Usually they
grew up doing pretty much what their parents did. Their awareness of
alternatives for activities was limited. They could see only what others in
their village did. Travelers brought tales of strange places and customs, but
these seemed far away and unrelated to life in the village. Nowadays
we can see on television the customs and life ways of people in every part
of the world. Young people in Japan can dress like young people in France;
they can dance like young people in England; they can speak foreign words and
read foreign books. You can even travel to these distant countries and try
living according to foreign customs for a while.
(説明) @Another
difference in modern times/ is the awareness of alternatives for
living. 「今日におけるもうひとつの差違は/ 生き方にはいろいろあるよと いうことに気がついている ということである」 (the
awareness of alternatives for living
を 「生き方に対する選択肢の認識」 というような意味のおさえかたをすると、なにがなんだかわか らなくなる。「なにがどうなっている」という関係で捕らえなおすとよ い。英文のなかの抽象名詞は日本語では動詞句表現で置き換えてみる。 そうすれば、意味が明解になる)
AIn
the past /there were few choices /available to young people. 「昔はね/
ほとんど選択の余地なんかなかったんですよ/ 若者が手に できる余地なんかね」 (@の in modern times との対比で、Aの冒頭に in
the past
が来た。 さあ、ここから、昔のことをいいだすのだな、ということが予測でき る。いわば「予告信号」が登場してきているのだ。これは典型的な接ぎ の語句である)
BUsually
/they grew up /doing pretty much what their parents did. 「普通はね/
若者は大きくなっていったんですよ/ 自分たちの両親が やっていたことを相当にいろいろやりながらね」 (usually
は文頭副詞である。Bの文を受けてその命題(自説)対する 一般的な例証を提示している。「特殊なケ−スは除いて、まあ一般的に はこうだったのだよ」という文頭予告信号が、usually
である。
CTheir awareness of alternatives for activities/ was
limited. 「いろいろな行事にはいくつかのやり方があるのだということが若 者には分かってはいたのであろうが/
それには限界があったのだ」 (「諸行事に対する選択肢の彼等の認識」などとしないようにする)
DThey could see / only
what others in their village did. 「若者の目に多分入ったのは/
村で他の人がやっている ことだけだった」 (ここも、Cの自説に対する理由を述べているのだ、と考えればよい)
ETravelers
brought /tales of strange places and customs, /but these seemed far away /and
unrelated to life in the village. 「旅人が 持ち込んだ(だろうね)/ 知らない土地や知らないしきたり の話をね/
だけどそんなものは 現実ばなれしていて村の日常生活に は関係なしですよね」 (ここも
Cの自説に対する「補強」をしているところである)
FNowadays /we can see on television /the customs
and life ways of people in every part of the world. 「(ところが)今ではどうでしょう/ 私どもは
テレビ画面上で見られ るんですよ/ 世界中の人々の習慣や生活様式をね」 (nowadays という「文頭予告信号」がでてきた。Aに出ていた in
the past
との対比である。「今では、こうなんですよ」と来るのだな、とい う予測をしながら読んでゆくことができるところである)
GYoung
people in Japan /can dress /like young people in France; they can dance/ like
young people in England; /they can speak foreign words and read foreign
books. 「日本の若者はね/ 着用できるんですよ/ フランスの若者と同じよう にね/ 踊りもできるんですよ/ イギリスの若者みたいにね/
外国語を 話したり外国書を読んだりもできるんですよ」 (Fの自説を正当化するための例証を列挙しているところである)
HYou can
even travel /to these distant countries /and try living /according to foreign
customs for a while. 「君は 旅だってできるんですよ/ こうした遠隔の国々ね/
そしてた めしに生活してみることだってできるんですよ/ 外国の習慣にしたが ってね/ ちょっとの間でもね」 (ここも in the past
に対して、nowadays はこんなに違うのだ とい うことを 例証をあげて説明しているところである)
以上のように見てみると、in the
past と nowadays の二つの「予告 信号」をとらえておくことが大切だ、ということもよくわかる。また、 @の in modern
times に対して、Hの nowadays
が、バリエーショ ン表現になっていることもよくわかる。@の文を更に説明して詳しく 述べているのが、Hの文であることもよくわかる。バリエーション表 現を意識してゆくと、英文がみえてきて、ますます、すらすらと読め てゆくのである。バリエーション表現を意識してゆけるようになれば、 初めての単語の意味も類推できるようになる。
大島
真先生は、「談話文法の語彙的結束性」という項目のなかで、こ れに関する説明をされている。そのご説明によれば、語彙的結束性と は、やさしく言うと「くりかえされることば」のことである。これには、 (a)反覆と
(b)同義語反覆と(c)連語がある、と説明されている。(a)は、 a bear に対しての the bear であり、 strive に対しての
strove, strife などである。(b)は、the pig に対しての the creature
とか、ラグビー の選手を二度目にくりかえして指す時にはフォワード、ハーフバック などと言い換える場合である。(c)は、意味に基づくもので、pipe
に対 して smoke
といった組合せである。
こういう視点は、学校文法や伝統文法のなかでは、あまり注目され ていないことのように思われる。多くの人は、リーディングを積み重 ねてゆく過程で、これを、「語感」とか「洞察力」という形で、ものにし てこられたのではないのだろうか。
4.
主題をとらえてゆく 主題をとらえてゆくと、受身文も文頭からすんなりと とらえてゆける。
(例文) I expect that
you will have to think creatively and independently if you wish to succeed in
the Japan of the future. Blindly following a system of rules, choosing the
safe and secure salaryman course, will not be rewarded in the future as it
was (to some degree) in the
past. (説明) 受身の形になっているところ: なぜ、ここは受身の形になっているのであろうか。 能動の形ではよくないのであろうか。 受身の形は、消極的である、とか
弱々しい、という人もいる。 だから、あまり、使わない方がよい、と言う人もいる。
一つのセンテンスだけをとりあげてみている場合には、このような ことも事実であるかもしれない。しかし、センテンスのレベルを超え た文章[談話]の流れのなかでは、主題に関係のある内容が、主語にな る。主題とはずれた内容が、突然主語となって登場すると、談話の流 れが著しく損なわれる。あるセンテンスが、受身の文になるのか、能 動の文になるのかは、主題を貫いている主語に依存しているのだ、と 考えればよい。
このことを、上記の例で検証してみる:
@I
expect /that you will have to think creatively and independently /if you wish
to succeed /in the Japan of the future. 「私は思うんですが/
君は創造的に自主的に思考せねばならなくな るだろうとね/ もし 君が成功したいと願っているのならね/
これから の日本でね」 (主題となるキーワードは、上記の@の文の下線部のところである。 つまり、これから
は創造・自主の態度が大切だ、というわけである)
ABlindly following a system of rules, /choosing
the safe and secure salaryman course, /will not be rewarded in the future
/as it was ( to some degree) in the
past. 「規則にしばられる組織に盲目的に追随したり、/安全確実なサラリ ーマンコースを選んでいくと/ これからは報われないであろう/
過去 において(ある程度までは)報われたようにはね」
@の文の、創造自主の態度の対局にある態度が、このAの文にでて きた創造性のない、自主性のない既存の規則への盲目的追随の 態度である。
Aの文の下線部のところは、主題を裏からみた表現である。談話の 流れのなかで、主題を主語に位置させているので、談話に一貫性があ る。ここのところを、むりやりに能動態にしなければならない、とい う理由はない。主題はなにか、それを押さえて行くと、英文はすらす らと氷解してゆくのである。能動態だからやさしくて、受身の文だか ら気迫がない、というのは一面の見方であるように思われる。
(例文) It
is all right to be what you are, just as you are. People who don't know
themselves are pushed around by the opinions of others in their group. They
try to live up to the expectations of others. They are afraid to go
against others' wishes because they aren't sure of who they are and what
they want for themselves. They don't have clear purposes and goals in their
lives.
(説明) @It is all right /to be what you are, /just as you
are. 「いいじゃないですか/ 君のいまのままで/ ほんとうに いまのままで」
APeople who don't know
themselves/ are pushed around /by the opinions of others /in their
group. 「自分がわかってない人はね/ 翻弄されてしまうのですよ / 他人の 意見にね/ 同じ仲間内の他人の意見に
ですよ」
BThey try to live /up to the expectations of others.
「そういう人は生きて行こうとするんですよ/ 他人の期待にそってね」
CThey are afraid /to go against
others' wishes/ because they aren't sure of/ who they are /and what they want
for themselves. 「そういう人は怖いのですよ/ 他人が期待していることに背くのが ね/ なぜって
そういう人にははっきりしてないんですよ/ 自分の正体 がね/ それから 自分のためにも何がしたいのかもね」 to go against
others'
wishes:「他人の願望にさからうこと」としても よいが、「他人が期待していることに背いてしまう」というように、「何 がどうなっている」という視点をクリアにしてゆくと英文マインドを さらにはっきりととらえられるようになる。
DThey
don't have clear purposes and goals in their
lives. 「そういう人にははっきりした目的や目標がないんですよ/
自分の 生きざまのなかでね」
あるがままに、自分を認識しないで、自分を偽っている人、自分で 自分のことがわからない人はいったいどうなっているのか、というあ たりがポイントである。主題が、ごく自然に主語に位置している。こ の後には、People
who don't know themselves を受けて、四つの
they が来る。 仮にこのAの文を、能動の文にして見ると、談話の流れが、損なわ れてしまうことが、よくわかる: "The
opinions of others in their group pushes around people who
don't know themselves.
|
|
● 童謡「赤とんぼ」のGreg Irwin英訳にみるコンマの使い方の推移
赤とんぼ(1927) 三木露風
作詞・山田耕筰 作曲
Dragonflies [Akatombo] (Lyrics by Rofu Miki Music by Kosaku
Yamada) by Greg
Irwin
2007年ランダムハウス講談社CDブックにおける英訳歌詞:
(1)
夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
Dragonflies As red as sunset Back
when I was young In twilight skies There on her back I’d ride When the
day was done
(2) 山の畑の 桑の実を 小籠(こかご)に摘んだ
は まぼろしか
Mountain fields In late November Long ago it
seems Mulberry trees
And treasures we would gather Was it only just
a dream?
(3) 十五でねえや(姐や)は 嫁に行き(ゆき) お里のたよりも 絶えはてた
Just
fifteen, She went away one day Married then so young Like a sister
lost I loved and missed her Letters never seemed to come
(4)
夕やけ小やけの 赤とんぼ とまっているよ 竿の先
Dragonflies As red as sunset Back
when I was young Now in my eyes When I see dragonflies Tears are always
sure to come
英訳歌詞三番における Just
fifteenのあとのコンマ以外はすべて削除されました。 そこで、過去、どのようにコンマが使われてきたのかを たどってみました:
上記三番の英訳歌詞について、どのようなコンマのつかいかたが なされてきたのかを、どうぞご覧になってくだされますように お願い申し上げます:
1.1997年頃
グレッグ・アーウィン 英語で歌うDOYO My
Country Home - Japanese Songs I Love
「このCDは日本の九州阿蘇くじゅう国立公園のなかにある 日本国際童謡館でライブ録音されました」と記載されています。 アーウィンさんは1997年ごろより活動開始されていますので、 このCDは、たぶん97年ごろに制作された アーウィンさんにとっての最初のCDであった、と思われます。 これの歌詞カードに書かれている英訳歌詞三番は つぎの通りです。
Just
fifteen, she went away one day, married then so young. Like a sister lost,
I loved and missed her, letters never seemed to come.
四行詩になっています。 コンマをつけられたところは、 一行目のfifteenとdayのあと と、 三行目のlostとherのあと。
(二行目と四行目の行頭は小文字で始まり、 行末にはピリオドがつけられています)
2.1998年
Japan's
Best Loved Songs of the Season 英語で歌う日本の歌 Greg Irwin with
CD The Japan Times 1998年7月5日が初版です。
Just fifteen she
went away one day Married then so young Like a sister lost, I loved and
missed her Letters never seemed to come
同じく四行詩とされています。 行頭はすべて大文字にされました。 三行目のlostのあとにコンマをつけておられます。 それ以外のところのコンマはすべて削除されました。 (youngとcomeのあとにつけられていたピリオドも削除されました)
3.2003年
Blue Eyes 〜 Beautiful Songs of Japan 〜 /
Greg Irwin
(ビクターエンタテイメント株式会社、2003) このCDの歌詞カードから:
四行詩のままです。 一行目のfifteenのあとのコンマが復活しています。 三行目のsisterのあとにコンマが新たに入りました。 三行目のlostのあとのコンマは据え置きです。 行頭はすべて大文字であることもそのままです。 ピリオドもすべてなしであることもそのままです。
4.2007年 グレッグ・アーウィンの 英語で歌う、日本の童謡 Japanese
Children's Songs
CD付き ランダムハウス講談社、 2007年3月20日初版
Just fifteen, She went
away one day Married then so young Like a sister lost I loved and
missed her Letters never seemed to
come
四行詩形から六行詩形に変更されました。 一行目のfifteenのあとのコンマはそのままです。 四行目のsisterとlostのあとにつけられていた コンマが削除されました。 行頭はすべて大文字ではじめられています。 行末のピリオド、コンマなどの句読点は、 一行目のfifteenのあとのコンマをのぞいては すべてオープンです。
○ 2005年 2005年の日英言語文化研究会10月例会 (会場:明治大学駿河台校舎リバテイー・タワー) にて不肖(坂井)は、上記の英訳歌詞に関する ささやかな発表をさせていただきました(50分)。
発表タイトルは「英訳比較:日本人の心の歌― 情感の示し方・伝え方―Greg
Irwin・中野一郎・ Susan Osbornの各英訳歌詞から」でした。
ご司会をくださった先生は、村田
年先生 (千葉大学名誉教授、和洋女子大学教授)でした。 身に余る光栄なお時間をいただきました。
「赤とんぼ」の英訳歌詞としましては、 当時の最新版のもの、 つまり上記のうちのビクター版の歌詞を ご紹介させていただきました。
(再掲) Just
fifteen, she went away one day Married then so young Like a sister, lost,
I loved and missed her Letters never seemed to
come
質疑の時間のなかで、 村田先生からご指摘がありました: 上記の三行目の英文を和訳してみると どうなるか、という主旨の ご指摘でありましたように思います。 コンマの有無に深く考えをめぐらすこともなく 提示させていただいた当時としては最新版の 英訳文でしたので、 ちぐはぐなことをご返答として 申し上げましたようにおもいます。
十五でねえや(姐や)は 嫁に行き(ゆき)
お里のたよりも 絶えはてた
に対して、上記のようなすばらしい英訳が できるようになることができますようにと、という気持ちだけが 先行していました。 Like
a sister, lost, I loved and missed
her のところは、特に「しびれて」いました。 コンマの有無に無頓着でした。 lostっていうような単語をひょいとこうして 挿入するなんて、これがネイティブの感覚 なんだなあ、と感じ入っていました。
村田先生は その後、ずっと、 この行のsisterのあとにあるコンマに 注目されてご考察されて こられたように思います。
先生は、JACETの辞書研MLにも これを英文解釈上の問題としてご諮問されました。 ご高名なほかの先生がたからも、 「GOOGLEなどではできない コンマ有無別の用法・用例も検索できる 検索法」により、 sisterのあとに コンマをおく用法、用例の少ないことが、 MLに整然と報告され、 その内容を村田先生は わたくしにまでご親切にご転送くだされました。 (研究に対する継続した きびしい姿勢・取り組み方をご示唆 くださったのであると痛感いたしまして こころからありがたくおもいました)
さて、そうこうしているときに、 グレッグ・アーウィンの
英語で歌う、日本の童謡 Japanese
Children's Songs
CD付き ランダムハウス講談社、 2007年3月20日初版
が刊行されていることを知りました。
これはグレッグ・アーウィンさんの 最新版アルバムということになります。
わくわくして眺めてみました。 なんと、
(再掲): Just
fifteen, She went away one day Married then so young Like a sister
lost I loved and missed her Letters never seemed to
come
のように変更されました。 Like a sister
lost となりまして、 コンマは削除されました。
これは、どういうことだろう。
ここから先は 先号の湘南通信にても 申し上げましたことですが:
"Like
a sister lost" のところは、アーウィンさんは、英訳文 として当初は、"Like a sister who left and never
returned"
とい う感じで発想されたのかもしれません。でもこの長さでは、「赤とん ぼ」のメロディにのせることができないから、シラブル数をしぼる ためにlostをもってこられたのかもしれません。
I
loved the nanny, who left and never returned. I
missed her.
といった感じが日本語歌詞ににじむ原意のように思われます。 the nannyを使わないで、a
sisterを導入されたところが、アーウ ィンさんの面目躍如たるところなのかもしれない、などと、 おもいました。
もともとここのところのコンマのつかいかたについて ご指摘されたのは村田年先生であられました。
このように深い反省の機会をいただくことが できましたことをありがたくおもっております。
いまは、アーウィンさんが一番初めに(1997年以前に) 創られた英訳歌詞に、 アーウィンさんのお考えになった句読点の つけかたの原点が 潜んでいるように思います。
(再掲): --------------------------------------------
Just
fifteen, she went away one day, married then so young. Like a sister lost,
I loved and missed her, letters never seemed to come.
四行詩になっています。 コンマをつけられたところは、 一行目のfifteenとdayのあと と、 三行目のlostとherのあと。
(二行目と四行目の行頭は小文字で始まり、 行末にはピリオドがつけられています) -----------------------------------------------
2003年ビクター版の歌詞におけるsisterのあとのコンマは 単なる誤植だったのでしょうか。 今回の2007年ランダムハウス講談社版における変更は 興味をそそります。 アーウィンさんが、お母様も「ふるさとアメリカ」からよばれての 銀座のガスホールのリサイタルでいくつもの日本の心を 伝える童謡を英語歌詞で歌われて、お開きの 童謡は「故郷」で、これを会場にあつまったお客さん全員で 合唱して、アーウィンさんのたぶん初めてのCDも購入させて いただいて、これにサインもいただいて― 昨日のことのようにおもいだします。 あれからすでに10年以上の歳月がながれています。 またべつの音楽会などでアーウィンさんにお会い できますようにと念じています。そのときには、 上記のコンマの使い方の変遷ににつきましても お尋ねできるような時間に恵まれますようにと、念じています。
○ 発表要旨(2005年10月、日英言語文化研究会):
英訳比較:日本人の心の歌
−情感の示し方/伝え方−
Greg
Irwin /中野一郎/ Susan
Osborn
の各英訳歌詞から
日本人の心の歌「赤とんぼ」「浜辺の歌」
に対応する各三種類の英訳詞を併記してその
心情と情感の示し方/伝え方について比較考察した。
名詩歌から連想されるアナログ的な連続画
像/音感/味覚などに日本語母語者は理屈抜き
ですぐに同調同化する。こういう名歌詞を英
訳化する場合には、日本語の言語共同体の中
での前提事項や内輪的な暗黙了解事項を見抜
いて,訳詞にはこれを補足しつつ,言霊から
の汲み取り可能な情感/感慨と英語にはつき
ものの理屈とをないまぜにして人生への考察
や感嘆を,論理を凝らして語るようにせねば
ならない。英語で描写される情景は多数の断
続的なデジタル静止画から選んだ一枚の輪郭
の明確な切り絵的な静止画の世界である。英
語における美的情景描写では透明感のある心
象風景が優先する。こういう心象が理屈を織
り交ぜて筋を通して紡ぎ出されていかなけれ
ばならない。言霊とロゴスがないまぜにされ
て新たに創造されるもの―これが英訳詞のよ
うである。
中野の訳詞は原詞の意味内容を忠実に逐語
転換したdirect
correspondenceに近く,
日本語の言語的特徴が訳詞中にも散見される。
中野は黒子に徹して忠実訳を志向している。
こうした忠実訳によれば日本人には明白な
季節感/寂寥感などの情感が訳詞読者にも
受容され易い形(receptor-friendly)で
伝播されていくのであろうか。
Irwin訳/
Osborn訳がその答を暗示する。
英語人は赤とんぼをa
dragonflyとしただけ
では秋という季節感を連想してくれないらし
い。秋の季節感を醸成するのに
Irwinはその訳詞に季節を明示する
late
in
Novemberという語句を訳補する。こ
の工夫が原詞全体に漂う秋の季節感を具象化
する。Irwinの英訳は翻訳上の問題点を克服す
る適切な処方箋−補足/削除/変容/語句選択/
語句配列の工夫−にあふれ,点描的和文を線
描的英文に転換させて,論旨を貫く動的等価
訳(dynamic
equivalence
translation)と
している。一語一訳を超え,
忠実さ/麗しさの両立を図り,訳詞
読者にこなれた意訳詞を提示している。
Osbornの英訳は訳詞読者に受容され易い麗し
さを提示している名訳詞である一方,原詞の
意味転換に関しては忠実さを欠く。Osbornの印
象画風/創作風な訳詞は原詞の雰囲気/詩情を
訳詞のなかに彷彿させている一種の機能的等
価翻訳(functional
equivalence
translation)
である。原詞作者の心境になりきりそれを心
とした受け手志向の訳詞を創造している。
日本文化圏での通用事象の受け止め方が英
語文化圏では異なることもあるので,翻訳を
単なる言語的変換に留まるものとしないで異
文化変換の行為として捉えていくことが大切
になる。Irwinの動的等価翻訳やOsbornの機能的
等価翻訳が示唆する文化の伝え方にはこの観
点からも見習うべき点が多い。
|
|
● あとがき Postscript
「希望の甘き言葉、憂きにも幸はひそむ」
小原靖夫様(小田原市)から 「ベストピア」(newsletter)を 長い間にわたりご送付いただいております。 最近いただきました241号では たいへん厳しいときをすごされたころに、 よく口ずさまれたという 「希望のささやき」という歌をご紹介されました。
その全歌詞をさがすことができましたので、 以下に記してみます:
「希望のささやき」
緒園涼子(おぞのりょうし)作詞(1) /津川主一訳詞(2) ホーソン作曲
緒園涼子作詞
(1)
天(あま)つ御使(みつか)いの 言葉さながら 声もひそやかに 希望ささやく 闇は四方(よも)にこめ 嵐(あらし)猛(たけ)れど 明日(あした)陽(ひ)はのぼり 風もなごまん 希望のあまき言葉 憂(うき)にも幸(さち)はひそむ
淡(あわ)き黄昏(たそがれ)に 真闇(まやみ)せまれば 暗き夜(よ)の空に 星はまたたく いよよ更けゆきて 胸は痛めど 夜半(よわ)に忍びよる 朝の光よ 希望のあまき言葉 憂にも幸はひそむ
津川主一訳詞
(2)
天(あま)つみ使(つか)いの 声もかくやと 静かにささやく 希望(のぞみ)の言葉 闇(やみ)あたりをこめ 嵐(あらし)すさめど やがて日照(ひて)り出(い)で 雲も拭(ぬぐ)われん ささやく 希望(のぞみ)の言葉 うきにも よろこびあり
あたりたそがれて 夕べせまれば 空に見えそむる あかき星かげ 夜(よ)はいよよ更(ふ)けて 心静(しず)めど 照る日さし昇る 朝(あした)ま近(ぢか)し ささやく 希望(のぞみ)の言葉 うきにも よろこびあり
原詩(英語)もみつけることができました:
Whispering
Hope
Main subject: Hope Scripture: Hebrews 6:19
Whispering Hope Septum's Winner, 1868 Copyright: Public
Domain
Soft as the voice of an angel, Breathing a
lesson unheard, Hope with a gentle persuasion Whispers her
comforting word:
Wait till the darkness is over, Wait till
the tempest is done, Hope for the sunshine tomorrow, After
the shower is gone.
Refrain: Whispering hope, oh, how
welcome thy voice, Making my heart in its sorrow
rejoice.
If, in the dusk of the twilight, Dim be the
region afar, Will not the deepening darkness Brighten the
glimmering star?
Then when the night is upon us,
Why should the heart sink away? When the dark midnight is
over, Watch for the breaking of day.
Hope, as an anchor
so steadfast, Rends the dark veil for the soul, Whither
the Master has entered, Robbing the grave of its goal;
Come then, oh, come, glad fruition, Come to my sad weary
heart; Come, O Thou blest hope of glory, Never, oh, never
depart.
● あとがきの2
夏至のおたよりを 落合勲さま(四日市市)からいただきました。 こちら藤沢では、7時過ぎまでたそがれの 明るさです。今頃、北緯23度付近では 真昼のころには真上90度から太陽が照りつける のでしょうね。自分の影がなくなってしまう のでしょうね。
落合様からのおたより: 「オオマツヨイグサ」のうつくしい書画に つぎのようなお言葉が添えられております:
ふわっと咲いて 夜もすがら 夏至 こころの文字 二十四節気 これまで夏至を 意識しすぎて 生きてきたようだ 自然は千変万化 季節は時にまかせ それぞれ自在に 感じたらいい
ふんわりと咲いた 黄色い花には 夢ニの憂いはなく 明るいひとばかり 浮かんで来て
短夜の心みてり
|
|