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常楽我浄 日本のこころを世界の人々へ
SHONAN NEWSLETTER
A Japanese heart and mind to the world over

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@Christy

NO.447
平成20年7月7日
July 7,2008

● 清水英雄先生のメッセージ




母との縁は深い絆
臍の緒でしっかりと
結ばれていた
切っても切れない
私は母の分身
母の血が今も私のなかで
激しく流れる
永遠の縁


An Eternal Bond


By a mysterious fate and destiny
Mother and I were tied, deep and firm,
by an umbilical cord.
We are an indissoluble unity.
I'm an alter ego for Mother.
Mother's blood still runs in my veins,
which causes it to tingle.
An eternal and infinite bond!

 (English Translation: Takahiko Sakai)
  (English Consultation: Frances Ford)


● 日本人の心の歌―中川一郎さんの英訳の世界から(その1)

1. さくら さくら
Sakura Sakura
     (Old Air of Japan)

さくら さくら
  Sakura Sakura
弥生(やよい)の空は
  Shining bright in sunny March,
見渡す(みわたす)かぎり
  Spreading over hill and dale,
霞(かすみ)か雲か
匂い(におい)ぞ いずる
Blooming graceful and peaceful
Like an angel’s silken veil,
いざや いざや
見にゆかん
  Sakura Sakura
  How I love to see them!

----------------------------------------------------------------

新歌詞

さくら さくら
野山も里も 見渡すかぎり
かすみか雲か 朝日に匂う
さくら さくら 花ざかり



考察:
「いざや いざや」というような日本語はどんな英語にしたら
よいのでしょうか。
掛け声、擬態語、擬音語の英訳は
ほんとうにむつかしいですね。
日本語がすばらしくおできになる英語母語話者のおかたの
翻訳作品などをながめますと
かなり参考になるようにおもいまして
すこしづつ集めています。



2. 江戸子守り歌
  Lullaby In Edo(Tokyo) District
     (Old Air of Japan)

(1)ねんねん ころりよ
        Sleep, baby, sleep
   おころりよ
        Oh, my baby, sleep,
   ぼうやは よい子だ
        How lovely, how lovely,
   ねんねしな
        How nice you are!

(2)ぼうやの おもりは
       Where’s the nurse, where’s the girl,
   どこへ 行った
        Where’s your nurse girl,
   あの山 こえて
        She’s gone, she’s gone,
   里へ 行った
        Far across the hill!

-------------------------------------------------

(3)里のみやげに
   なに もらった
   でんでんたいこに
   しょうのふえ


3. うさぎ
  Rabbit
     (Old Air of Japan)

うさぎ うさぎ
  Oh, rabbit on the moon,
なに見て はねる
  What are you leaping for?
十五夜 お月さま
見てはねる
  I shall leap, I shall leap soon
  At the large full moon!

(Source: Nakano, Ichiro : 101 Favorite Songs Taught in Japanese Schools,
The Japan Times, Tokyo(1983))


● 公文―教育の一隅を照らす(致知 2001-11. pp16-23.)
           杏中保夫(公文教育研究会 社長)


・五木寛之『他力』:他力とは―目にみえない
自分以外の何か大きな力が、
自分の生き方を支えている、という考え方。

・本音のみ、タブー無、上下関係なし

・国が衰退してゆくときの一つの特徴は、
国民が他人への依存心に陥ってしまうことです。
大人が真剣に将来のことを考えるのは、
子供に目を向けるときです。
大人一人ひとりが子供に向き合おう。
・一斉授業の限界→子供たち一人ひとりの
可能性を最大限に引き出していくことが重要。
自学自習する力を育む個人別教育の実施。
・公文の教室は、全国に1万8千5百か所。
これは幼稚園よりも多く、交番とほぼ同じくらい。

・佐藤一斎『言志四録』:「一燈を掲げて暗夜を行く。
暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」
→公文式という一燈を掲げて、世の中を照らす。


● お釈迦様の説かれた修行(六波羅蜜)(致知 2002-11. pp7-15.)

 何のために生きるのか  稲盛和夫(京セラ名誉会長)

・人生には運命がある。これを理性で肯定していただきたい。
・人生には運命という縦軸と因果応報という横軸がある。
・運命は因果応報の法則で変えられる。
・(変えるには)出あった現象に感謝する
―悪いことに遭ったら先々よいことに合うために
この苦難があるのだと耐え、
先々のよいことのために与えられた苦難に感謝する。
よいことがくればおごらず、偉ぶらず、
謙虚さを失わず、もったいない、と感謝する。
・現れる現象にどう対処するかによって、
それからの運命が大きく変わってくる。

・人生の目的は何か―心を高めること、心を純化すること、
心を浄化すること、人間性を高めること、
人格を高めること(これはすべて同義語です)。
・人生のなかで自分がどれほどよいことをしたか
―生まれたときよりも死ぬときのほうが 
魂が、心がよくなっていた
―これが人生の何よりの価値です。

・人生/仕事の結果 = 考え方 x 熱意 x 能力

・「六波羅蜜(ろくはらみつ)」
(悟りを開くためにお釈迦様が説かれた修行、
これによって人間のこころが浄化され
純化されついには最終的な悟りの境地に達する)
の最初にくるのが「布施」です。
相手のためになろうとする(利他の心)と、
必ずこちらに返ってくるものがある。
人のために尽くすことを 
人生を生きるなかで常に考えて実行する。
これが布施の修行です。
・二つ目は「持戒」です。
人間としてやってはならないことを抑える。
(たとえ)成功しても成功したことに感謝し、
足るを知ること。
感謝するどころか傲慢になる―足るを知らない欲望
→貧欲(とんよく)―を含めた煩悩を抑える。
・三つ目は「精進」です。努力する、働く。
一所懸命に働くことによってしか
心を磨くことはできない。
一芸にひいでた人はなんともすばらしい
人間性をもっておられる。
人間をつくるには苦労が一番大切です。
若いときの難儀は買ってでもしなさい、
というのは真理です。
・四つ目は「忍辱(にんにく)」です。
耐え忍ぶ、辛抱することが心を高めてゆく。
・五つめは「禅定(ぜんじょう)」です。
せめて一日一回、心を静めて坐禅をする。
坐禅をしなくとも、カッカカッカを
少しでも抑えるようにしてゆけば
心が高められてゆく。
・布施、持戒、精進、忍辱、禅定、をしてゆくと、
宇宙の「智慧」に至ることができる。
有名になったり、金持ちになったりすることが
人生の目的ではない。
人生の目的は心を高めることです。
心を高めれば、物事がよく見えてきて、
どういう行き方をすればいいのかが分る。
・人間は惰性に流される動物だから、
「人生の目的は心を高めること」を
はっきりと理性にインプットして
ときどきそれを取り出して
確かめることが大変大事です。


● 中国における世界遺産に関する情報―秦始皇帝の兵馬俑

恩師のK先生から世界遺産に関する英文
を和文に転換するようにとご下命をいただきました。
その英文とは,
先生が中国の郵趣の友,
Tさんから受け取られたユネスコ認定の中国世界遺産27件を
紹介した冊子に記されている解説でした。

この冊子を拝見しまして,
中国でも世界遺産を絵柄にした
たくさんの切手が発行されていることがわかりました。

中国の秦始皇帝の兵馬俑についての
英文解説付切手帳(NY本部英文版)には
絵柄16種のそれぞれに対しまして
つぎのような英文解説が附されていました。(和訳:坂井孝彦)

The World Heritage
世界遺産

The Terracotta Warriors
秦始皇帝陵の兵俑


(1)
WORLD HERITAGE ― A GIFT FROM THE PAST TO THE FUTURE
 世界遺産―過去から未来へと引き継いでゆく贈り物

Heritage is our legacy from the past, what we live with today, and what we
pass to future generations.
遺産―特に後世に伝えるべき自然環境や文化遺跡など―は,
先人や祖先から受け継いでいま手にしている
精神的・物質的な遺物であって,
それは今相共存して暮らしを立てているという存在であり,
また将来の世代に受け継いでもらうという存在でもある。

 Our cultural and natural heritage are both irreplaceable sources of life
and inspiration. World Heritage sites belong to all the peoples of the
world, irrespective of the territory in which they are located. But how can
a World Heritage site in one country “belong” equally to that country and
to the peoples of the world?
受け継いだ現有の文化遺産や自然遺産はどちらも,
生気を養い創造的刺激による妙想を手繰り寄せるための,
置き替えのきかない掛け替えのない源泉となっている。
世界遺産の現場は世界中のあらゆる民族・国民に
所属するものであって,
その人々がいま現実に住み着いている
地域や区域とはなんの関係もない。
しかし,どのような方策によって,
ある国のある世界遺産の現場が,
その当該国はもちろんであるとして
世界の全民族・国民に等しく
「所属される」ということになるのであろうか。

(2)
The answer is to be found in the Convention concerning the Protection of the
World Cultural and Natural Heritage, which was adopted 25 years ago. on 16
November 1972, by the United Nations Educational, Scientific and Cultural
Organization (UNESCO). Under the Convention, countries recognize that the
sites located on their national territory which have been inscribed on the
World Heritage List constitute, without affecting national sovereignty or
ownership, a world heritage "for whose protection it is the duty of the
international community as a whole to cooperate".
その答は,世界の文化遺産および自然遺産の保護に
関する条約の中に見つけることができる。
この条約は,1972年11月16日にユネスコによって採択された。
この条約の下で加盟諸国は次のことを容認する。
すなわち,自国の主権に属する陸海を含む
領地内に世界遺産が登録された場合,
その地域においては,
当該国の統治権や所有権に悪影響が及ぼされる
ことはないとしても,
「それの保護のために協調を図るのは
国際社会全体としての義務である」
との規定下におかれた世界遺産が形成される
ことを容認することになるのである。

Without the support of other countries, some sites with recognized cultural
or natural value would deteriorate or, worse, disappear, often through lack
of funding to preserve them. The Convention is thus an agreement signed by
some 150 countries, to contribute the necessary financial and intellectual
resources to protect World Heritage sites.
他の国々の援助がなければ,
文化や自然に関する価値や重要性が
認定された場所であっても,それのある一部のものは,
劣化・衰退し,所によって惨状のもっとひどい場合には,
消失の憂き目に遭遇することにもなる。
それの保護に要する財源不足がその原因である場合が多い。
それゆえに,150カ国が署名した国際的な協定である
この条約によって,所要財源をあるいは所要知識供給源を
寄与・寄贈することを通じて世界遺産の現場を
保護することにしたのである。

(3)
A World Heritage site differs from a site of national heritage, and the key
is in the words "outstanding universal value". All countries have sites of
local or national interest, which are quite justifiably a source of national
pride, and the Convention encourages countries to identify and protect their
heritage whether or not it is placed on the World Heritage List.
世界遺産現場と国家遺産現場とは異なる。
両者の相違点に関わる鍵となる表現は,
世界遺産の場合の「際立った普遍的な価値」にある。
あらゆる国にその土地に固有の,
あるいはその国家に固有の利権や権益に関わる地域がある。
こういう場所は,極めて尤もで当たり前のことではあるが,
国家的な「自慢の種子」を誘発させる源となっている。
こういう理由で,国際条約のほうでは,
それぞれの国が自国の遺産を独自に鑑定して
保護するようにと促している。このことは,
その遺産が世界遺産リストに載せられる
かどうかには関わりのないことである。

(4)
Sites selected for World Heritage listing are approved on the basis of their
merits as the best possible examples of the cultural and natural heritage.
The World Heritage List draws attention to the wealth and diversity of the
earth’s cultural and natural heritage. One of the sites included in the
World Heritage list is the Qin Shi Huang Mausoleum.
世界遺産の候補リストのなかに選ばれた地域は,
何を拠り所にして正式な世界遺産であるとして
是とされたりあるいは非とされたりすることになるのか。
それは,文化遺産・自然遺産の最優秀の模範例に
成り得るどうかについての理非曲直にある。
世界遺産は,地球上には文化遺産・自然遺産が
豊富に存在することを,
また多様な形態で存在することを知らしめて
世界の衆目を浴びている。
世界遺産リストに含まれている地域のひとつに,
秦始皇帝陵がある。


(5)
THE DISCOVERY OF THE QIN SHI HUANG MAUSOLEUM
秦始皇帝陵の発見

In the early spring of 1974, a number of peasants accidentally discovered
some ancient bronze weapons and pieces of broken terracotta armoured
warriors while sinking a well at the northern foot of Mt. Lishan, 35 km from
Xian, the famous cultural city in China's history. No one ever expected that
this accidental discovery

(6)
would prove to be one of the most significant modern archaeological finds,
adding greater understanding to China's history and at the same time
unfolding a unique and majestic spectacle before the world.
1974年の早春の頃,数人の農民が偶然,
何丁かの古代の青銅製武器と武装兵士の姿とみられる
半端なテラコッタ製の俑
(テラコッタ=元々はイタリア語で堅い耐火レンガ=baked earth=を意味する。
俑=古代中国において人の死後の生活を助けるために埋葬された
人物や動物をかたどった土偶)をいくつか見つけた。
このとき,農民たちは,実は驪山の北麓で井戸掘りをしていたのである。
驪山麓は,中国史では名高い西安という文化都市から35kmの地にある。
当時だれ一人として予測した者はいなかったのであるが,
この偶発的発見は実はきわめて意義深い近代考古学上の
発見の一つであることが次第に明らかになってきた。
この偶然の発見が契機となって,
中国の歴史に関する知見は格段に積増され,
同時に世界の人々の前に匹敵するもののない
ほどの威風堂々たる一大スペクタクルを見せつけたのである。

(6)のつづき
After years of drilling, excavation and research, the site was determined to
be an attendant burial pit of the huge army of terracotta armoured warriors
and horses in the mausoleum of China's first feudal emperor, Qin Shi Huang.
By 1976 three such pits had been found, encompassing a total area of more
than 20,000 sq m (approx. 5 acres). in which were buried nearly 8.000
terracotta armoured warriors and horses and more than 100 chariots. In 1987
UNESCO placed the Qin Shi Huang Mausoleum and the terracotta armoured
warriors and horses among the world’s cultural legacies.
幾年もかけて穿孔・発掘を続けて調査してみた結果,
この現場は中国初の封建皇帝である秦始皇帝
の陵域内に存している「テラコッタ製の武装兵士と軍馬(兵馬俑,へいば そう)」
からなる大軍団を埋葬した従者の坑であるとの決着がつき,
1976年までには合計三箇所のこの種の坑が発見された。
これら坑の網羅する総面積は2万平方メートル(約5エーカー)超に及んだ。
この広域のなかにほぼ8,000体にのぼる兵馬俑が,
さらには100台を超える戦闘用馬車(戦車)も埋葬されていた。
1987年,ユネスコは秦始皇帝陵と兵馬俑を
世界文化遺産リストのなかに取り入れた。


● 英作文の練習


雪国

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
信号所に汽車が止まった。
   ―川端康成 (1899-1972), 『雪国』(1934-7)

(拙訳)
 They came out of the long border tunnel into the snow country.
The earth was covered with a carpet of snow under the night sky. The
train came to a stop at a signal cabin.
      ―Yasunari Kawabata (1899-1972), Snow Country (1934-7)

(補足)
 平子(1999: 118-9)は次のように述べています:

(引用はじめ)

 サイデンスティッカー訳〈The train came out of the long tunnel
into the snow country〉は、翻訳を律儀な語義翻訳と考えた場合、「誤
訳」ということになる。この訳だと、汽車は外から見られていること
になるが、原作では汽車に乗っている誰か(〈雪国であった〉と言って
いる誰か)の視点で見られ(語られ)ているのだから。しかし、英訳
する以上、テクストの質が変わるのは避けられない。
 乗っているのは誰か。主人公か、それとも主人公の行動を説明して
いる語り手(作者)か。テクストには明言されていないので決定でき
ない。(中略)英訳するとき、その曖昧さは消えていずれかの形に断定
されてしまうが、それは正しいか否かではなく、解釈の問題である。
〈The train came out of the long tunnel into the snow country〉とい
う訳はサイデンスティッカーによる解釈であり、そして誰しもここで
自分の解釈を決めなければならないのである。
(引用終わり)


 上記の拙訳では、汽車と乗っている登場人物をふくめてtheyを使い
ました。サイデンスティッカー訳では「国境の長いトンネル」の「国
境の」が減訳されていて〈the long tunnel〉となっています。拙訳で
は「国境の」に対応しそうな翻訳語borderをおぎなって、〈the long
border tunnel〉としてあります。


(参考図書)

川端康成.『雪国』.岩波書店.1952. p.5.
谷沢永一.『名作の書き出しを諳(そら)んじる』.2008.p.106.
立石 伯.『日本文学名作案内』.2008. p.89.
平子義雄.『翻訳の原理―異文化をどう訳すか』.大修館書店.1999. p.99,
      pp.118-9.
成瀬武史.『英日・日英 翻訳入門』.研究社.1996. pp.26-7.
Seidensticker, Edward G. Snow Country. Tuttle. 1957. p.3.
Murray, G. Snow Country. Kodansha International. 2007. pp.13-4.
白坂道子(朗読).『CD 伝えたい美しい日本のことば』.キングレコー
      ド.2004.pp.25-6.
佐藤紘彰.「サイデンスティカーの講演」.『訳せないもの 翻訳にから
      めた文化論』. サイマル出版会. 1996. pp.132-8.


(先行英訳)
(1) The TRAIN came out of the long tunnel into the snow country.
The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a
signal stop.
  ―Translated by Edward G. Seidensticker. Snow Country. Tuttle.
1957. p.3.

(2) They emerged from the long border tunnel into the snow country.
The night was carpeted with white. The train halted at a signal
box.
―Translated by Murray, G. Snow Country. Kodansha International.
2007. pp.13-4.


● あとがき Postscript

北雑賀芳紀様(横浜時事英語会)
からのご案内をご紹介させていただきたく
お願い申し上げます:

(前略)
小生は通訳ガイドでon season(3-5月)(9-11月)のみ数回
働いておりますが、off seasonは英語を話すチャンスが少ないと
すぐ錆びてしまい、聴取力も年のせいか落ちています。
そういう時はNHKのラジオ講座・杉田 敏氏の「ビジネス英会話」や
AFNの定時news,TVでのCNN newsの聴取と平行し、internetを
とうしてTime,Newsweeek,Economist,Japan Times等を音読し
役立ちそうな表現はpick upしております。

最近はpaperbacksでの小説などは読書はしていません。
なにか面白い本が御座いましたら教えて下さい。
かつてはクリスティのdetective storiesやアーサー・ヘーリーのもの
等を含め多読しましたが、目が疲れるので少なくしております。
現在は古典的なもので英国の海洋文学作家である
Joseph Conradの”Youth"や短編小説をゆっくり熟読しております。

一方、3年前より大磯に在住して地元のガイド・ボランティアで
日本人の案内をしております。主な案内spotは「旧島崎藤村邸」
「鴫立庵」等々、神社仏閣、明治ー大正ー昭和にかけての首相
や各界の別荘跡、澤田美喜記念館(隠れキリシタン遺物800点
余りの陳列など)、結構みるところも多いです。
最近では「旧吉田茂邸」の限定期間10〜12月に邸内以外の
所をガイド数回やりました。99パーセントは日本人の方ばかりで、
そのうち60歳ー70歳前後です。吉田さんのことを知っている人が
少なくなってきました。

あとは家の近くで野菜作りをしています。

ここ三年余りは宗教法人で真言密教の「真如苑」の国際部で
外国人教徒のお世話をしております。来年1月の寒修行には
英語で司会をやることになり今や原稿作りの準備中です。
参考資料が少なく宗教、特に仏教関係の英語辞書がほとんどなく
日本文から英語翻訳に苦労しています。
(後略)



その後、大磯の観光案内のパンフレットなどを
多数、ご送付いただきました。
そのひとつを下記させていただきます。
みなさま、どうぞ、大磯へおこしくだされますよう:


大磯町 郷土資料館

郷土資料館の建つ「県立大磯城山公園」は、元は三井
財閥総本家の別荘地で、面積約7ha、国道り号線をはさ
んで向い側には旧吉田茂首相邸(現大磯プリンスホテ
ル別館)があります。
当時、敷地内には国宝茶室「如庵」、付属書院をはじめ
多数の建物がありました。特に、「城山荘」は木造3階(一
部4階)建ての耐震住宅で、薬師寺・浅草寺はじめ全国
有名古社寺の古材を用いて造られたため、別名「古材館」
とも呼ばれました。
往時を偲ぶ建物はありませんが、この郷土資料館は「城
山荘」のモチーフを部分的に活かし建てられたものです。


 Oiso Joyama Park, formerly the garden of the wealthy
Mitsui family, covers seven hectares and includes the Oiso
Municipal Museum.
 Across from this park stands an annex of the Oiso Prince
Hotel, where former Prime Minister  Shigerb Yoshida once
resided.
 The park was also the site of  several old buildings, for
example, the  "Jo-an" tea room, designated as a national
treasure, to which was attached a small study house known
as the  "Shoin''. (The tea room itself has been preserved in
 lnuyama, Aichi-ken.)
 "Jozan-so" was especialty famous for its mixed three and
four story style. It  was a wooden, earthquake-proof structure.
It  was also called  "Kozai-kan'', which means a mansion
built of used lumber, since the wood had originally been
part of such famous temples as Kyoto's Yakushi-ji and
Tokyo's Senso-ji.
 The Oiso Municipal Museum was built in a style similar
to that of the "Jozan-so''. _


※ きれいな英文ですねえ。ひょっとしましたら雑賀さまによる
の英訳文かもしれませんねえ。

● 写真1:湘南平塚七夕祭 山崎正昭大兄様(調布市)からお贈りいただきました。

(ありがとうございます。みなさまどうぞおでかけを。すごい人波ですけど。)

● 写真2:熱帯睡蓮ペンシルバニア (Dr.)坂下 潔先生からお贈りいただきました。


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