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● 日本人の心の歌―中川一郎さんの英訳の世界から(その5)
22. 箱根八里 Hakone Mountains (Makoto
Torii / Rentaro Taki)
1.昔の箱根 箱根の山は 天下の険 函谷関(かんこくかん)も物ならず Hakone
Mountains hard to cross, The mighty fortress lay right
here, 万丈の山 千仭(せんじん)の谷 前に聳(そび)え後(しりえ)に支(さそ)う High up the ranges, deepest
the dales, Rising in front, peaking in the rear, 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす Oh,
clouds around the tops, oh, mist fills the
vales, 昼猶 闇(くら)き杉の並木 羊腸の小径は苔滑らか How dark the cedar woods, huge trees
rows in rows, See, the narrow winding lane that shines with
mosses, 一夫関に当るや 万夫も開くなし Just a strongest man might keep the whole
fortress from the foes, 天下に旅する 剛毅の武士(もののふ) Bravest warriors who go on
the road 大刀腰に足駄がけ 八里の岩ね踏み鳴(なら)す Might have trod the rocks and ranges,
Trampling, climbing all out of the ways, 斯くこそありしか 往時の武士 Was it in this
way they traveled in those
days?
2.今の箱根 箱根の山は 天下の阻(そ) 蜀の桟道数ならず Hakone Mountains hard to
cross, The mighty fortress lay right
here, 万丈の山 千仭(せんじん)の谷 前に聳(そび)え後(しりえ)に支(さそ)う High up the ranges, deepest
the dales, Rising in front, peaking in the rear, 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす Oh,
clouds around the tops, oh, mist fills the
vales, 昼猶 闇(くら)き杉の並木 羊腸の小径は苔滑らか How dark the cedar woods, huge trees
rows in rows, See, the narrow winding lane that shines with
mosses, 一夫関に当るや 万夫も開くなし Just a strongest man might keep the whole
fortress from the foes, 山野に狩する 剛毅の壮士(ますらお) Bravest hunters who chase on
the hills 猟銃肩に草鞋(わらじ)がけ 八里の岩ね踏み破る With their hunting guns on their
shoulders, Trampling, climbing all out of ways, 斯くこそありけれ 近時の壮士 Was
it in this way they hunted in those
days?
(感想) 日本語のほうもかなり難しいですね。 それを英訳するのはさらにむつかしい。 中川一郎大兄様のご尽力に頭がさがるおもいです。
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● 英語辞書
―「ちょっと」の語義をめぐる一考察(その1)
目次 1.
〈ちょっと〉をめぐる多様な語義を英語辞典(和英辞典)はどの程度までカバーしているか 2.
和英辞典:渡邊敏郎・E.R.Skrzypczac・P.Snowden(2003)の〈ちょっと〉への対応
3.
和英辞典:プログレッシブ和英(2002) の〈ちょっと〉への対応 4.
〈ちょっと〉の語義・用法について:和英辞典への要望(まとめ)
1. 〈ちょっと〉をめぐる多様な語義を英語辞典(和英辞典)は
どの程度までカバーしているか
〈ちょっと〉には「わずか」「すこし」の意味のほかにも 「おおいに」「かなり」という意味など多様な用法があり、 日本語を学ぶ外国人にとっても不思議な言葉のようである。
〈ちょっと〉の多様な語義に関して 日本語母語話者がすぐには気がつかない多様な用法を 外国人として日本に滞在したポン・フェイ(1994)が かなり綿密に観察記録している。 その観察結果を以下に抜粋引用する。
quote: 「〈ちょっと〉は意味範囲が広く、 用法はバラェティーに富み、 従来の研究では説明しきれないものがあった。 日本人なら普段、 会話の潤滑油として何げなく使っているが、 外国人にとってこれほどやっかいな日本語はない。
(1a)
断定的な言い方をさける場合 quote: 「〈すみませんが、柔らかい枕はありませんか〉」 と寝具店で買い物をした時、 店のおばさんから 〈ちょっとないですわ〉」と言われてびっくり。
この場合の〈ちょっと〉は 本来その語の持つ意味(=少し)から 完全に離脱しているのである。 この場合、〈ちょっと〉を添えることによって、 断定的な言い方が避けられ、 表現が軟らかくなり、ていねい度が増し、 会話の潤滑油の役割を果たすことは確かである。」
(1b)
強調の役割をする場合 quote: 「ただし、〈こんな機会はちょっとないから、頑張ってください〉 の場合の〈ちょっと〉」は 和らげる役割ではなく、強調の役割に変身している。」
(1c)
マイナス的評価をする場合 quote: 「〈ちょっと〉はマイナス的評価(=良くない状態)の意が強い。 〈あの人はちょっと〉 〈この絵はいいけどこのあたりはちょっと〉 〈
今週の日曜日はちょっと〉。
特に〈ちょっと〉のあとに 〈ネェ〉〈ナァ〉をつけると、 マイナス評価の意味合いがさらに強く増して、 全面的否定の意味に近くなる。」
(1d)
お詫びの気持ちを表したり、行為を誇張しない効果を上げる場合 quote: 「自分の行為を示す場合に 〈ちょっと〉を添えることによって、 お詫びの気持ちを持たせたり、 話し手の行為を誇張しない効果を上げることができる。 〈ちょっとお先に〉 〈ちょっとお邪魔します〉 〈ちょっと失礼〉。 〈ちょっとゴルフをしてきた〉 〈ちょっと1ヵ月ヨーロッパに行ってきた〉。
〈ちょっと〜してくる〉の形は時間や距離の長さを示すものではなく、 自分あるいは身内の人の行為を誇張しないようにする表現なのである。
〈ちょっとそこまで〉もそうだが、 距離、所要時間、労力がたいしたものではないことを伝えている。 特に話し手自身のことを相手にはっきり伝えたくない場合、 〈ちょっと〉でぼかすことができる。」
(1e)
気軽さを付け加えたり直裁さを避ける場合 quote: 「〈ちょっと一杯、いかがですか〉の表現もよく耳にし、 勧め誘う場合によく使用される。 〈ちょっと映画を見にいかない?〉 〈ちょっと休憩しましょう〉。
話し手も聞き手も、 その〈ちょっと〉における時間や量の多少には それほど関心を持っていない。 話し手が相手に働きかける時の なんらかの感情・気分(気軽さ、相手への 配慮、直裁さを避けるなど)が付け加えられているのである。」
(1f)
依頼希求する場合 quote: 「〈ちょっと貸して〉 〈ちょっとやってごらん〉 〈ちょっとお願いしますが〉 〈相談事があるから、ちょっと出て来てくれませんか〉 〈ちょっと手伝ってくれよ〉。
用件を依頼する場合、 〈ちょっと〉を使わないと唐突で 相手に何かを要求する意思がむき出しの印象を与える。
〈ちょっと来い
に油断すな〉とは、 ご年配の方がよく言うことである。 知人から〈ちょっと来て〉と言われて、 行ってみると、 とても重大な話を持ち出される体験も多かった。
〈ちょっと〉は曲者である。
(1g)
〈相当〉の意味をもつ場合 quote: 「〈外国人にはちょっとむずかしい〉 の〈ちょっと〉は〈少し〉の意味を示すよりも 話し手自身の判断を和らげ、 場合によっては〈相当〉の意味をもっていることがわかった。」
(1h)
〈ちょっとした〉が 〈最大限、または非常にとまではいかないが 並を超える程度、普通以上〉を表す場合。 quote: 「〈日本郵船が日本最大級と誇るだけあって お値段もちょっとしたものだ〉。
このような〈ちょっとした〉は 〈最大限、または非常にとまではいかないが 並を超える程度、普通以上〉を表し、 その情報内容は聞き手にとって、 何らかの重要性、意外性を持つことが多い。
〈彼にはちょっとした貯金があるそうだ〉 〈ちょっとした額になる〉 〈これはちょっとしたもんやで〉 〈おれ、ちょっとした中華料理店を知っているよ〉 〈この新築の家はこのあたりではちょっとしたものだ〉 〈ちょっとしたアイデアでしょう〉 〈ちょっとした工夫ですね―褒めことば〉」
(1i)
〈ちょっとした〉を〈すこし〉〈わずかな〉の意味に使う場合 quote: 「〈話の内容は似たりよったりでも、ちょっとした工夫で話が生きてくる〉」
(1j)
人を非難したり相手の行動を制止したりする場合 quote: 「〈ちょっと、冗談じゃない!〉 〈ちょっと厚かましいじゃない〉 〈ちょっと!ちょっと!(強い口調)〉。
〈ちょっと〉は相手の言ったことを否定しつつ、 さらに注意を喚起させる力をもつ。 〈ちょっと気ォつけてや〉。 相手に依頼したり、 注意を促す意味や働きかけの機能をもつと解釈できる。 〈ちょっと、アンタ何言うてんの!〉 〈ちょっと顔貸してもらおか!〉。 すごんでみても何事によらず 〈ちょっと〉を使う日本語の表現では、
怒りの気持ちも減量されてしまうのであろうか。」
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● 文化を伝える試み:英作文
「弟子といえばわが子も同然」 「菅原伝授手習鑑―寺子屋」 の場合:
(あらすじ) 菅原道真の旧臣武部源蔵夫婦は、寺小屋をひらいて、 主君の一子秀才をかくまっているが、 ついに時平方に露見し、首を打たねばならなくなった。 その日に入門した小太郎を身代りに 首を打つが、首実検に来た松王は、 本物の秀才の首だと鑑定して帰る。 喜ぶ源蔵夫婦の前に、 小太郎の母千代が戻って、 「お役に立てて下さったか」と言い、 驚く夫婦にふたたび訪れた 松王は、小太郎は自分の子であり、 丞相(しょうじょう=菅原道真)への報恩のために、 身代りに差し出したのだとの本心を語り、 深い悲しみをみせる。 ―藤田 洋.『歌舞伎ハンドブック』.
三省堂. 2006. p.
224.
源蔵「弟子といえばわが子も同然」 戸浪(源蔵の女房)「サア、今日に限って寺入りしたは、
あの子が業か、母御の因果か」 源蔵「報いはこちが火の車」 戸浪「追付け廻って、来ましょう」 源蔵「すまじきものは宮仕えじゃなあ」
―菅原伝授手習鑑(寺子屋)
(現代語訳) 「弟子はわが子同然というに------」と声を湿らせる。 「今日に限って弟子入りしたのは、あの子の業(ごう)か、 母親の因果か-----」 小太郎があとを追ったときの母親の心残りのさまが思い出され、 戸浪は涙をこらえきれなくなった。 「その報いはわれらの身の上に火の車となって------」 言いさす源蔵に、戸浪も悲痛な面持ちで、 「めぐってきましょうわいなあ」 深い溜息ととともに言う。 「せまじきものは、宮仕えじゃなあ」 ―小笠原恭子.『現代語訳
歌舞伎名作集』. 河出書房新社. 2008. pp.
62-63.
(語義) 火の車=地獄で鬼が罪人を乗せて運ぶ火炎の燃え立つ車。 「因果はめぐる火の車」という言い慣わしから。 ―小笠原恭子.『現代語訳
歌舞伎名作集』. 河出書房新社. 2008. pp. 423-424.
(拙訳) Genzo:
They are unquestionably like our own children, though they are
called pupils. Tonami: Is it the child’s destiny or the mother’s
karma that made him become a pupil of our school today, of
all days? Genzo: The fruit of our evil deed will bring us------ Tonami:
------inevitable retribution in the rotating karma. Genzo: As is well known
all over the world you must put up with all sorts of grief as long as
you are in the service of your master. ―The Village
School, Sugawara’s Secrets of Calligraphy
(参考図書) 藤田 洋.『歌舞伎ハンドブック』.
三省堂. 2006. p. 224. Leiter, Samuel L. The Art of Kabuki. New York: Dover
Publications. 1979. pp. 113-114. 小笠原恭子.『現代語訳 歌舞伎名作集』. 河出書房新社. 2008. pp.
62-63. pp. 423-424. 田口章子(編著)・百鬼丸(切り絵).『歌舞伎ギャラリー』. 学習研究社. 2008. pp.
62-63. 十二代目 市川團十郎.『團十郎の歌舞伎案内』. PHP研究所. 2008. pp. 210-214. 渡辺 保.『新版 歌舞伎手帖』.
講談社. 2001. p. 198. 利根川 裕.『あらすじで読む名作 歌舞伎50』. 世界文化社. 2004. pp.
44-45. 金森和子.『歌舞伎のみどころ』. 東京美術. 2004. pp. 70-71. 湯浅景元.『なりきり歌舞伎体操』. ポプラ社.
2008. pp. 100-101. Kawatake, Toshio. Kabuki. Translated by Frank & Jean
Connell Hoff. The International House of Japan. 2003. pp. 215-218.
pp. 227-228. p. 273.
(先行英訳) Genzo: Though we call them
pupils they are truly like our own children. Tonami: Whose
karma is it, the child’s or the mother’s that brought them to our
school today, of all days? Genzo: And we must be agents of
their punishment. Tonami: But we too shall be overtaken in our
turn. Genzo: As the world well knows it is painful indeed to
serve one’s master. ―Leiter, Samuel L. The Art of
Kabuki. New York: Dover Publications. 1979.
pp.113-114.
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● 英作文の練習
―文化を伝えるこころみ
茶は服のように点て(たて) (千 利休)
四規 和敬清寂(わけいせいじゃく)
七則 茶は服のように点て(たて)、 炭は湯のわくように置き、 冬は暖(あたたか)に夏は涼しく、 花は野の花のように生け(いけ)、 刻限(こくげん)は早めに、 降らずとも雨の用意、 相客に心せよ ―千 利休
(1521-91)
(語句) 服=薬や茶をのむこと。
(拙訳)
四規 和敬清寂(わけいせいじゃく)
Sen-no-Rikyu’s
four basic rules for tea ceremony: (regarded as the fundamental essence of
tea ceremony) “harmony, reverence, purity, and
tranquility”
七則 Seven essential elements needed to conduct the art
of ceremonial tea-making to a successful end:
(拙訳1) Make the
tea pleasant to drink. Lay the charcoal adequate enough to heat the
kettle. Make it warmer in winter and cooler in summer. Arrange flowers in
the vase like the ones of the field. Take action before it’s too late. Wet
or shine, prepare for rainy weather. Be attentive to the fellow
guests. ―Sen-no-Rikyu (1521-91)
(拙訳2) Prepare the tea
so that it can be pleasant to drink. Lay an adequate supply of charcoal on
the fire so that the water may be heated up to just the right
temperature. Impart a feeling of coolness in summer, and a feeling of warmth
in winter. Arrange one flower in the vase in the same manner as it grows on
the field. Take action in good time before it’s too late. Rain or shine,
prepare for wet weather. Be thoughtful about the fellow guests.
―Sen-no-Rikyu (1521-91)
(参考図書) 齋藤 孝.『CDブック 声に出して読みたい日本語』. 草思社.
2003. p.96. 齋藤 孝.『声に出して読みたい日本語』. 草思社. 2001. pp.168-9. 栗田 勇.『雪月花のこころ』. 祥伝社.
1987. pp.154-8. 鈴木大拙・北川桃雄(和訳).『対訳 禅と日本文化』.講談社. 2005.
pp.189-231. 山口百々男・小島節子(共編).『和英日本文化辞典』. ジャパン タイムズ. 1979. pp.10-1,
p.75. 山口百々男・辻本信義. 『和英 日本文化のキーワード』. ジャパン タイムズ. 1988. pp.13-8,
pp.189-90. KEK国際交流会(編).『体験しよう日本の文化』. 杏文堂. 1989. pp.24-9. 藤澤 優・山田
弘.『中学英語で日本の伝統文化が紹介できる』. エール出版. 2005. pp.18-25. Juniper, Andrew. Wabi-Sabi:
The Japanese Art of Impermanence. Tokyo: Tuttle, 2003. pp.31-43. 岡倉天心.『対訳
The Book of Tea 茶の本』. 講談社. 1998. pp.216-7. JAPAN An Illustrated Encyclopedia,
講談社. 1993. p.1677, p.1289. Richie, Donald. A Tractate on Japanese Aesthetics.
Berkeley, California, Stone Bridge Press. 2007. pp.43-73.
(わび
と さび)
wabi 詫び
・Richie, Donald (2007: 73): a cultivated
aesthetic that finds beauty in simplicity and an
impoverished rusticity
・山口百々男・辻本信義 (1988: 190): serenity in
simplicity; taste for simplicity and quietness; refined
rusticity; tranquility in the midst of poverty.
・JAPAN An
Illustrated Encyclopedia (1993: 1677): An aesthetic and moral principle
advocating the enjoyment of a quiet, leisurely life free from worldly
concerns.(中略)It is a central concept in the aesthetics of the tea
ceremony and is also manifest in some works of waka, renga, and haiku.
(中略)The new connotations of wabi were cultivated especially by masters of the
tea ceremony, such as Sen No Rikyu, who sought to elevate their art by
associating it with the spirit of Zen and stressed the importance of
seeking richness in poverty and beauty in
simplicity.(後略)
sabi(寂び)
・Richie, Donald (2007: 72): a
slightly bleak quality suggesting age, deterioration, and the passage
of time
・山口百々男・辻本信義 (1988: 189): elegant simplicity; subdued
simplicity; aesthetic patina.
・JAPAN An Illustrated Encyclopedia (1993:
1289): poetic ideal fostered by Basho (1644-94) and his followers in haiku,
though the germ of the concept and the term existed long before them.
Sabi points toward a medieval aesthetic combining elements of old age,
loneliness, resignation, and tranquility, yet the colorful and plebeian
qualities of Edo-period (1600-1868) culture are also present. At times sabi
is used synonymously or in conjunction with wabi, an aesthetic ideal of the
tea
ceremony. (後略)
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● あとがき1 Postscript
良書のご紹介:
安井京子.『音読して楽しむ名作英文』. はまの出版.pp. 154-5.
から:
The Rainbow -William Wordsworth
My heart leaps up when I
behold A rainbow in the sky: So was it when my life began; So is it now
I am a man; So be it when I shall grow old, Or let me die! The Child is
father of the Man; I could wish my days to be Bound each to each by
natural
piety.
【訳と解説:安井京子】:
虹
空の虹を見ると 心が弾む 僕の人生が始まったときもそうだった 僕が大人になった今もそうだ 僕が年老いたときもきっと心弾むだろう さもなければ僕に死をあたえよ 子供は大人の父なのだ 僕がこれから迎える日々が 自然への敬慶な気持ちで満たされますよう
ロマン派の詩人として名高い ウィリアム・ワーズワースは、 カムバーランドのコカマスという町に生まれ、 少年時代は湖水地方の 美しい自然に親しんで育ちました。 1798年に友人コールリッジと共に発表した 『仔情歌謡集』(Lyrical
Ballads)は、 英文学史上ロマン派時代の幕開きを告げる作品として 高く評価されています。 1807年に『二巻の詩集』(Poems in
Two
Volumes)を出版、 この中に「虹」のタイトルで知られる詩が収められています。 幼いころから慣れ親しんだ 湖水地方のグラスミア湖畔の「鳩の家」に住み、 1850年に亡くなるまで湖水地方を 離れることはありませんでした。 1842年には桂冠詩人に列せられています。
(上記は安井京子様の解説です。鳩の家は現在、 ひっそりとした感じの展示場・おみやげやさん となっています。わたしが訪れた数年前、 たまたま休館日で残念な思いをしました)
● あとがきの2
本のご紹介:
ヒルティ:幸福論第二部(岩波文庫)
(p.
68)
人の世のすべてが終るまで、善と悪、正と不正とが 相並んで存続するであろう。
※新聞もテレビも、今日もまた、官界政界などの 不正を糾弾しています。 年配者にはこれのいちいちに腹をたてている 時間はもう残されていないような気がします。 裁きは天に一任して、理想をおいかけすぎないように 己の長くもない現実の日々を失わないように しなくてはならないのかもしれません。
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