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@Christy

NO.408
平成19年9月15日
September 15,2007

 大事なものは目にはみえないんだ
    (English translation: Sakai, Takahiko)
         (English cosultation: Frances Ford)


There is a famous line in Antoine de Saint-Exupery's "The Little
Prince"―"It is only with the heart that on ecan see rightly: What is
essential is invisible to the eye." This might have been written by
SAKAMURA Shimmin, KANEKO Misuzu, and AIDA Mitsuo.


1.真民さんからのメッセージ:

根の働きは
見えないところで
私たちを養って下さっている
見えないものを見る目を持とう
The root is God as well as Buddha
 in the service of supporting all of us
 concealing Himself behind the curtain.
Let's have an insight into the unseen world.



一本の木を見つめていると


一本の木を見つめていると
神とか仏とかいうものが
よくわかってくる
見えないところで
その幹を
その葉を
その花を
その実を
作っていってくれる
根の働きは
見えないところで
私たちを養って下さっている
神とひとしく
仏と同じである
見えないものを見る目を持とう
見えないものを知る心を持とう


添削:by Prof. Dr. Dieter Riemenschneider
            Jan Kemp Riemenschneider)
  ( )削除
 [    ] 挿入


When You Stare at a Tree


When you stare at a tree,
 you will realize what God or Buddha is all about.
Under the ground unseen to us,
 the root has made
 the trunk (grown) [grow],
 the leaves come out,
 the blossoms come into bloom,
 and the fruit [is] borne.
The root is God as well as Buddha
 in the service of supporting all of us
 concealing Himself behind the curtain.
Let's have an insight into the unseen world,
 and let's have mind to recognize
 what we cannot see with our eyes.


(できあがり)
When You Stare at a Tree


When you stare at a tree,
 you will realize what God or Buddha is all about.
Under the ground unseen to us,
 the root has made
 the trunk grow,
 the leaves come out,
 the blossoms come into bloom,
 and the fruit is borne.
The root is God as well as Buddha
 in the service of supporting all of us
 concealing Himself behind the curtain.
Let's have an insight into the unseen world,
 and let's have mind to recognize
 what we cannot see with our eyes.



2.金子みすゞさんから の メッセージ:

「見えぬものでもあるんだよ」
  Now you understand there exists here and there
    what you cannot see at the moment.



星とたんぽぽ


青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる
昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だアまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ
  見えぬものでもあるんだよ。



添削 by Ms. Frances Ford
( )削除
 [    ] 挿入

Stars and Dandelion


Deep in (a) [⇒the] blue sky, like small pebbles deep in the sea,
the stars in the daytime stay,
(sinking) [⇒hiding] themselves till the night comes.
You cannot see them in the daytime.
    (Even if ) [⇒Although] you cannot see them, they are there.
    Now you understand there exists here and there
    what you cannot see (right now) [⇒at the moment].


Dandelions, withered away and scattered,
stay in the cracks of a roof tile, silently,
concealing themselves till the spring comes.
You cannot see their strong roots.
    (Even if) [⇒Although] you cannot see them, they are there.]
    Now you understand there exists here and there
  what you cannot see (right now) [⇒at the moment].



(できあがり)

Deep in the blue sky, like small pebbles deep in the sea,
the stars in the daytime stay,
hiding themselves till the night comes.
You cannot see them in the daytime.
    Although you cannot see them, they are there.
    Now you understand there exists here and there
    what you cannot see at the moment.


Dandelions, scattered away and withered,
stay in the cracks of a roof tile, silently,
concealing themselves till the spring comes.
You cannot see their strong roots.
    Although you cannot see them, they are there.]
    Now you understand there exists here and there
  what you cannot see at the moment.
  
  


3.相田みつをさんからのメッセージ:

「根はみえねんだなあ」
   Trunk-supporting roots
   cannot be seen.
「大事なものは表に出ない」
Things of importance
do not show themselves
to the public eye.



花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根はみえねんだなあ

Flower-supporting branches;
branch-supporting trunks;
trunk-supporting roots
that cannot be seen


土の中の水道管
高いビルの下の下水
大事なものは表に出ない

Water pipes under the ground;
Sewers under high-rise buildings;
things of importance
do not show themselves to the public eye.


● 英語母語者の潜在意識と冠詞の使い分け方の感覚(その4)


2 (a) You should drinkΦmedicine which is good for you.
 (b) You should drink the medicine which is good for you."

 (2a)のmedicineは量状名詞 [a mass word]である。Φmedicine
which is good for youという表現構造は、Φmedicineというa
mass wordに関係詞節 (which is good for you) を追加した構造
になっている。連続体とみなされる対象を意識して無冠詞表現を
する場合は、その対象[名詞]への追加情報 (which is good for
you) は、その対象に対する単なるコメント情報であると考えて
もよいのではないか。Φmedicine which is good for youは、聞き
手になんらの同定も求めていない、特定されていない [specifyさ
れていない] 薬一般である。追加情報を普通の形容語句に言い換
えて名詞medicineの上流側に置いたときの語感に似ているかも
しれない。つまり“good-for-you medicine”とでも言うべき語感
であろうか。
 
 (2b)は「悪い薬ではなくて良い薬だけを飲みましょう」の意で
ある。ここの定表現The medicineが発しられたとき、これの特
定者指示の意味対象が〈談話テクスト内の特定名詞語句〉あるい
は〈目撃・状況的・場面・文脈内の特定存在〉となっていない場
合には、聞き手はthe medicineという定表現だけでは指定対象を
同定認知できないので、話し手はここではwhich is good for you
という情報を追加して聞き手の同定を求めていることになる。制
限的な関係詞節をつかった情報の追加をうけた定表現the
medicine which is good for youには「良い薬のほうだけで、そう
ではない悪いほうの薬はだめですよ」「悪い薬のほうではなくて
良い薬のほうを飲みなさいよ!」というような対比識別の感覚が
意識されていることになる。


 安藤(2005)に次のような解説がある 。
(引用始め)
2 (c) literature that deals with our inner life
  (d) the literature that deals with our inner life
                                 (Christophersen 1939)
 (2c, d)は、日本語ではともに「人間の内面生活を扱う文学」と
なるが、(2c)の無冠詞は、その種の文学を一般的・総称的な表現
ととらえているので[−def(定表現にならない)]であるのに対し
て、(2d)にtheが付いているのは、いま問題にしている、その種
の特定の文学を考えているからである。(引用終わり)

 (2c)では、(2a)と同じような感覚が働いている。聞き手の同定
が求められていないその種の文学が一般的、総称的にとらえられ
ている。 “our-inner-life-dealing literature”とも言うべき感覚の
表現に近似するかもしれない。

 (2d)のような定表現に対しては、多くの参考書類にみられる「い
ま問題にしている、その種の特定の文学」のような説明に対して、
これをもうすこし敷衍してみたい。以下に若干の追加考察を試み
る:
 
 the literatureと定表現発話をした時、これの特定者指示の意
味対象が〈談話テクスト内の特定名詞語句〉あるいは〈目撃・状
況的・場面・文脈内の特定存在〉となっていない場合には、つま
り、平たく言えば、場面や文脈や唯一存在などに依存しない特定
者指示の定表現発話を開始したのであるならば、聞き手はthe
literatureという定表現だけでは指示対象を同定できないので、
話し手はthe literatureと発話した後にさらに情報を追加して聞
き手の同定を図ろうとする。ここでは関係詞節による情報that
deals with our inner lifeを追加することによって、指示対象に対
する聞き手側の了解を図ろうとしている。
 
 聞き手が同定することができるようになった定表現the
literature that deals with our inner lifeという情報は、聞き手に
とっては、場面、文脈などからは同定できなかった初めて出会う
新情報である。
 
 従来、不定表現は新情報を具現し、定表現は旧情報を具現する
といわれてきた。「桃太郎」の物語の冒頭部分にみられる情報構
造はこれを端的にあらわす好事例として紹介されてきた。
 しかし、場面、文脈などにではなくて、たとえば制限的関係詞
節による情報追加をうけた定表現は、聞き手にとっては既知情報
(旧情報)ではなくて、新情報(その時点までは未知であった情
報)となる。
 「誰が外出したか Who went out? ⇒私ガ外出した (It is) I
(who) went out. / It is me who went out. 」での「私ガ」は新情
報であり「あなたは何をしたか What did you do? ⇒私ハ外出し
た (As for me,) I went out.」での「私ハ」は旧情報である、とさ
れる。しかし「(家のなかにいないで)外出した人間ハ [外出し
たのハ] 私である」での「外出した人間ハ [外出したのハ]、 The
one who went out」には新情報の響きが感じられる。
 (非制限的な関係詞節などによって情報追加をした定表現は、
新情報とはならない。この点については、情報の追加の仕方、つ
まり制限的関係詞節、非制限的関係詞節の使い方にも関連するこ
となので、さらに後述する。)
 
 文法学者が「〈名詞に後続する句や節〉が、特定者指示の意味
対象となる場合にその名詞に定冠詞がつく」というような説明を
する場合、その文法学者は、すでに紡ぎ出されてしまっていた文
をみて、それがどうなっているのかを分析していて、文頭から文
尾にいたるまであらかじめ観察して見てしまっていて、その結末
を知ったうえで、このような説明をすることが多い。しかし、言
葉を紡ぐという作業は遡及的に機能するものではない。the
literatureと定表現発話した話し手は、これを聞き手が同定認知
できないと認識すればこそ、情報を追加するのであって、その過
程は時間の流れのなかに置かれている。この追加情報は文法的に
いえば、関係詞節であったり前置詞句であったりする。言語が紡
ぎ出される過程においては、theに名詞句が追加されるのであっ
て、名詞句にtheが遡及的につけられるのではない。
 
 再び (3d) にもどって、この定表現をさらに点検してみる。定
表現the literature that deals with our inner lifeでは、(2b) (3b)
と同じく、たとえばthe literature that deals with our outer life
のような他の定表現との対比が意識されている。「〈他の面での
生活を扱う文学、たとえば、外面的な生活の方を扱う文学ではな
くて、それとは区別された内面的な生活の方を扱う文学〉」とい
う点に意識がむけられている表現である。
 
 
 ピーターセン(1990)には、the rain in Spainという定表現が提
示されたつぎのような明解な説明がみられる 。
3 (a) rain in Spain
  (b) a rain in Spain
  (c) the rain in Spain

 (3c)はつぎのようなことを述べる表現であると説明されている:

(引用始め)
「雨というものは、地球の大体どこにでも降ることはあろうが、
他のところとは違って、スペインに降るその雨というものは
------」
(引用終わり)

 上記の説明中で注目すべき英語母語者による指摘は「他のとこ
ろとは違って」という文言にある。the rain in Spainは例えばthe
rain in Englandと対比されているということになる。(3c)は「〈ス
ペインの方で降る雨〉ハ、例えば〈イングランドの方で降る雨〉」
とは違い------である」のようなことを述べるときの表現である、
ということになる。
 the rain in Spain: that kind of rain seen in Spain as
opposed to that kind seen in other countries.
 
 織田 (2002) の説明に従えば、定表現the rain in Spainは「つ
ぎのような〈ひとつの集合体〉を考えてそれを構成している〈い
くつかの下位要素のなかの一つ〉=〈例えば、スペインの方で降
る雨〉に意識をはたかせるときの表現である、ということになる:
〈世界のいろいろな地域に降る雨についてのひとつの集合体〉=
[〈スペインの方で降る雨〉,〈イングランドの方で降る雨〉,〈ス
コットランド方で降る雨〉,〈イタリアの方で降る雨〉,------]

 定表現the rainのみでは、聞き手はこれを同定できないので、
話し手としては、追加情報であるin Spainを発して、聞き手の同
定を期待し、その結果、定表現the rain in Spainが双方にとって
の共通の理解のなかに入る、という感覚もはたらいている、と言
えよう。

  (3a)についてピーターセン(1990)は「〈スペインに降る雨〉を
もっとも一般的にいう表現である」と説明する。
 つまり、これは、聞き手が同定することを期待していない場合
の表現である。その種の雨が一般的、総称的にとらえられている
ときの表現である。

 (3b) についてピーターセン(1990)は「おもに〈ある時、1か所
に現に降った雨〉をある種の一例として取り上げて、それについ
て述べる表現である」と説明する。
 ここには、さらに次のような説明がつづく:
 There was a nice, soft rain in northern Spain last night.
 「ゆうべ、スペインの北部には、気持ちのよい、静かな雨が降
ってきた。」というような場合にはa rainがぴったり合っている、
と。
 さらに続けて、なぜ「ぴったり」なのかについて、つぎのよう
な理由が述べられている:
 「雨の種類は、さまざまであるが、その中の一つとして〈ゆう
べ、スペインの北部に降ってきた気持ちのよい、静かな雨〉とい
う一例を示す」ので、a rainで表現するのだ、と。
 この説明の中におけるキーワードは「ある種の一例」と「その
中のひとつとして」である。

 つまり、英語母語者にはつぎのような感覚が無意識のうちに働
いているのではないのか。日本語母語者はこの感覚を意識化する
ことによって英語母語者の発想に近づけるのではないのか:英語
母語者にはa   nice, soft rain in northern Spain last nightと
いう不定表現を含む、これと同類のさまざまな種類のひとしきり
の雨が、潜在意識のなかに内在しており、そのそれぞれの種類の
ひとしきりの雨を下位要素としたひとつの集合体が、潜在意識の
中にまとめられて存在していて、その集合体に帰属するいろいろ
な種類のひとしきりの雨という要素のなかから、他のいろいろな
種類のひとしきりの雨ではなくて、それらとは対比された、ある
一種類の雨が抽出されるとき、これをa nice, soft rain in
northern Spain last night⇒a rain in Spainという不定表現で具
現するのであろうか。

 以上の考察は、(1c) I am writing a history of English
Literature.  についての考察からの推定であって不定表現 a
history of English Literature には、other histories of English
Literatureとの対比性が意識されていたのと同じである。
 基本的には、[少年(1), 少年(2), 少年(3)-----]という同類要素か
らなる集合体のなかの任意の一要素を抽出して、これをa boyと
表現するのと同じ感覚である。定表現とされていない可算化用法
の名詞(the boyではなくてa boyと表現する場合)の感覚はど
んな感覚であるかと言えば「他にも同類のものがあって、その同
類のもののうちの代表例として発話されているのだ」という感覚
である。不定表現では、その名詞がXであるとすれば、ティピカ
ルなXであること、カテゴリーとしてのXであることを示される
ことになる。
 
 しかし、英語母語者は、一見したところ量状名詞 [a mass
word]のように感じられる「雨」に対しても、これを「種類」「同
類」「その一例」というような感覚を潜在意識のなかに働かせて、
個体名詞 [a unit word] であるa history(歴史書)やa boy(男
の子)に対するのと同様な感覚で、これを不定表現化するのだな
あ、ということに思い至ることができる。
 不定表現a rainは「境界線によって仕切られた有界的な存在で
あると意識される雨、というカテゴリー(区分)に属する〈ひと
つづきの雨、ひとしきりの雨、一時的な雨〉の代表例」を表わし
ているように感じられる。これに追加された情報in Spainは、(2a)
中のΦmedicine which is good for youのwhich is good for you
に類似したコメント情報にすぎないのかもしれない。この感覚は
かなり微妙であって、in Spainという形容語句を名詞rainに前
置した “a (in Spain) rain”のような感覚で捉えるほうがよいのか
もしれない。“a onto-Spanish-land-falling rain”という感覚で捉
えられる「スペインに降るひとしきりの雨」というカテゴリーに
属するそのひとしきりの雨群の〈代表例、典型例、一例〉がa rain
in Spainのように表現されるのかもしれない。
 

 日本語では、特別に必要でない限り、対比を意識した表現とそ
れを意識しない表現とが区別されて表現されることがない。そこ
で、つぎのような日本語を英語に転換させる場合は、制限用法の
関係詞節を使うか、あるいは非制限用法の関係詞節を使うか、と
いう点に注意が必要であるとの解説がピーターセン (1988)に見
られる 。

「1982年から1985年にかけてスイスで開発されたワクチンは有
効である」

(引用始め)
 このセンテンスの背後を知らなければ、(制限用法、非制限用
法の)どちらの用法にすればよいのかわからない可能性もある。
たとえば、主語となるワクチンとは違う他のワクチンを意識しな
がらいっているのなら、
 (3d) The vaccines which were developed in Switzerland
between 1982 and 1985 are highly effective.
という英語になる。しかし、これらのワクチンを意識していない
のなら、
 (3e) The vaccines, which were developed in Switzerland
between 1982 and 1985, are highly effective.
 という英語になる。
 (引用終わり)
 
 対比を意識した英文は (3d) のようになる。これをもう一度、
対比を意識した和文に戻してみるとつぎのようになるのではな
かろうか:「ワクチンのうちでも、(他のものではなくて)1982
年から1985年にかけてスイスで開発されたほうのものは、きき
めがある」この場合の定表現the vaccines which were developed
in Switzerland between 1982 and 1985は、先にみたように、聞
き手にとっては新情報である。
  (3e) では、定表現the vaccinesは、聞き手にとって文脈、場
面などから同定認知できる旧情報(既知情報)である、と解され
る。(the vaccinesが既知情報だからこそ、おまけの付加情報は
非制限用法によって追加されるのだ、とも言える。)
 
 つまり、関係詞節を追加して情報を伝える場合には、制限用法
による情報を追加した情報の全体(=定表現の全体)は、聞き手
にとっては新情報である。これに対して、非制限用法による情報
伝達においては、冒頭の“the vaccines,” と言い切った段階で、
これは聞き手には同定できている双方にとっての既知情報であ
って、非制限用法によって追加された情報は、話し手の聞き手に
対する「思いやり的な参考情報」にすぎない。このことを考慮に
いれて「1982年から1985年にかけてスイスで開発されたワクチ
ンは有効である」を書き直してみると次のようになるのではなか
ろうか:「1982年から1985年にかけてスイスで開発されたとい
う、貴方もご存知の例のあのワクチンは効きめがありますよ」
 この和文を英文に転換するのであれば、The vaccines, which
were developed in Switzerland between 1982 and 1985, are
highly effective.の方が採用されることになるのではなかろうか。


 久野・高見 (2004) には、以上のような冠詞の使いわけ方につ
いて、つぎのような仮説が提示されている 。

・無冠詞は「個体としての明確な形や境界をもたず、単一体では
なく、連続体を表わす」
・不定冠詞は「明確な形をもつ単一の個体を表わす」
・定冠詞は、他のものから区別され、限定されて、聞き手がその
支持対象を理解できるものを表わす。

 上記の仮説のうち定表現における「他のものから区別され」と
いう文言が大切である。また、不定表現では、明確な個体を対象
とするのは当然のこととして、一見したところでは連続体とみら
れる雨のような対象についても、これを「ひとしきりの雨」とみ
るような場合には、それの同類のなかのある一種類、あるいは一
例を表わすときの表現として、不定表現(例えば、a rain in Spain)
が使われるということにも意識が向けられてもよいのではなか
ろうか。


(参考文献)
 安藤貞雄.『現代英文法講義』開拓社. 2005. p454.
  ピーターセン, マーク.『続日本人の英語』岩波書店. 1990. p13-p15.
  ピーターセン, マーク.『日本人の英語』岩波書店. 1988. p120-p123.
  久野 ワ・高見健一.『謎解きの英文法 冠詞と名詞』.
東京:くろしお出版. 2004. p26.


● あとがき Postscript

山真弘和尚様の主宰されます
          幸福ニュースから引用させていただきます:


 *****************************
幸福ニュース(しあわせニュース)第331号 2005年10月12日
幸せへのヒント満載です。友達にも教えて皆幸福に!
http://www.uproad.ne.jp/rengein/
*****************************


 今回は、角川書店より刊行された、羽生善治著の『決断力』の
一部を紹介させていただきます。将棋界随一の実力者の勝負にか
ける情熱が伝わってきます。

          【 決 断 力 】

将棋を指すうえでの一番の決め手は「決断力」である。勝負の土
壇場では、精神力が勝敗を分ける。

勝負所では、ごちゃごちゃ考えるな。単純に簡単に考えろ。決断
する時は、たとえ危険でも、単純で簡単な方法を選ぶ。

勝負では、自分から危険なところに踏み込む勇気が必要である。

指し手が見えない時やこちらが不利な場面では、意図的に複雑な
場面を作り出して、相手に手を渡し、相手のミスを誘う時もある。

勝負では、「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。
守ろう、守ろうとすると後ろ向きになる。スクラップ・アンド・
ビルド(破壊と創造)が必要である。

勝負には周りからの信用が大切だ。期待の風が後押ししてくれる。

一時間で二千手読めるプロの棋士でも十手先の局面を想定するこ
とはできない。一つの局面で八十手ある可能性の中から大部分を
捨て、残りの二〜三手に絞り込んで、先まで読んでいく。

データや前例に頼ると、自分の力で必死に閃こうとしなくなる。
直感の七割は正しい。

将棋にかぎらず、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は、大
局観と感性のバランスだ。

常識を疑うことから、新しい考え方やアイデアが生まれる。先入
観を持っていると新しい考えは出ない。

最善の戦略は、大局観と事前の研究から生まれる。対局前の事前
研究が三〜四割を占め、重要である。

深い集中力は、スキンダイビングで深く海に潜るステップと同じ
ように得られる。深く集中した状態では、雑念や邪念が一切消え
去り、深い、森閑とした世界に身を置いた感覚である。周りを見
ているが見ていなかったり、見えないものが見えたりする。時間
の観念もなくなり、短時間に多くの手が読め、「これだ」という
最終決断も早い。そういう時は、集中力の持続も長い。

人間はどんなに訓練をつんでもミスは避けられない。ミスには面
白い法則がある。例えば、最初に相手がミスをする。そして次に
自分がミスをする。ミスとミスで帳消しになるのではなく、あと
からしたミスの方が罪が重く、被害も大きい。

一局の中で、前のミスのことを考えるのは良くない。反省は勝負
が終わってからでよい。すでに過ぎ去ったことはしかたがない、
実戦中は振り返らないことが大切だ。今、目の前の一手が大事で
あり、私は意識的に先を考えるようにしている。

プロの将棋は、一手の差が逆転できる想定の範囲内である。マラ
ソンで先頭の選手の背中が見えていれば逆転の気力を維持できる
ように、気力のしぼまないポジションをキープして逆転のチャン
スを待つのである。ただ、損を一気に取り戻そうとすると、うま
くいかないことが多い。徐々に差をつめることが大切である。

感情のコントロールができることが、実力につながる。形勢が不
利になっても顔にださない。勝負の結果を翌日に引きずらないこ
とが大事である。私は対局が終わったら、その日の内に勝因、敗
因の結論を出す。そして、翌日には真っ白な状態でいたいと思っ
ている。

私は、年齢にかかわらず、常にその時その時でベストを尽くせる、
そういう環境に身を置いている。それが自分の人生を豊かにする
最大のポイントだと思っている。

パソコンで勉強したからといって、将棋は強くならない。情報を
集めるのには便利で、予備データとしては使えても、ここから先
はこんな手があるとは教えてくれない。情報を処理、判断して、
いかに新しいアイデアを出せるかが勝負になっている。

情報は選ぶより、「いかに捨てる」かが重要である。私はパソコ
ンで知った情報は、「その形にどれぐらいの深さがあるか」で研
究するか、しないかを決める。

コンピューターの発達により、将棋の世界もここ20年くらいで
大きく変わった。情報や棋譜を集めて分析・研究するという体系
的、学術的なアプローチ方法に変わったのである。日々研究しな
いと消極的になり、最先端の将棋を避けると、勝負から逃げるこ
とになってしまう。

情報化の時代なので、安全と思われる道も研究され、あっという
間に使えなくなってしまうことがよく起こる。昔のように新手一
生ではなくなった。創意工夫の中からこそ、現状打破の道は見え
てくる。

将棋は駒を通しての対話である。相手の意図を考えることが自分
のヒントになる。土壇場になって時間がないときなどには、人間
の本質のようなものが出たりする。

私の勉強法・・・(1)アイデアを思い浮かべる(2)それがうま
くいくか細かく調べる(3)実戦で実行する(4)検証、反省する、
の4つのプロセスを繰り返すことである。近道思考で手に入れた
ものはメッキがはげやすい。

スポーツ観戦の七割は趣味だが、三割は将棋に役立つ部分が結構
ある。盤上だけでなく、番外戦術も必要で、将棋は人間の総合力
の勝負である。

私は、日常生活では、将棋から離れ、自然体を保つことを心がけ
ている。水分の補給と、気分転換にプールに行って泳ぐ。頭の中
をクリアにして、新鮮な気持ちを取り戻すようにしている。いか
に将棋から離れるかが大事なのだ。

コンピューターの強さは、人間の強さとは異質なものだ。現在、
市販の将棋ソフトの強さはアマチュア三段位のレベルと言われて
いるが、人間とは違い、あるところはプロ級で、あるところでは
初心者というアンバランスな強さである。コンピューターは攻守
が複雑な中盤では弱い。最後の詰め将棋のような選択肢が絞られ
る場面では、すごい強さを発揮する。

才能とは同じ情熱、気力、モチベーションを持続することである。
将棋の場合は特にそうだが、どの世界でも、教える行為に対して、
教えられる側の依存度が高くなってしまうと問題だ。自分で考え
る力が大切である。


----------------------------------------------------------

【仏語集】

このようにして教えを聞き、教えを信じ、他人をうらやまず、他
人の言葉に迷うことなく、自分のするしないについて省みること
が肝心であり、他人のするしないを心にかけてはならない。何よ
りも自分の心を修めることが大切なのである。(大般涅槃経)

----------------------------------------------------------


【坂村真民詩集】

《 つみかさね 》

一球一球のつみかさね
一打一打のつみかさね
一歩一歩のつみかさね
一坐一坐のつみかさね
一作一作のつみかさね
一念一念のつみかさね

つみかさねの上に
咲く花
つみかさねの果てに
熟する実
それは美しく尊く
真の光を放つ

----------------------------------------------------------

*皆様のご意見、ご感想、ご投稿を
  rengein@uproad.ne.jp
 へどうぞお寄せください。お待ちしております。

*「投稿大歓迎!」 皆様の投稿は、できるだけ「幸福ニュース」
に掲載しようと思っております。読者と共にこのEメールマガジ
ンを作り上げていきたいと願っておりますので、御協力をよろし
くお願い申し上げます。
----------------------------------------------------------
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●写真:山崎正昭様からです:大船観音 と はけいとう


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