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A Japanese heart and mind to the world over

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@Christy

NO.414
平成19年10月30日
October 30,2007

● 真民さんのメッセージ

花無心にして

喋来り

喋無心にして

花開くと や

There exists a butterfly
 coming to the flower,
 which is
 in the state of perfect selflessness.

The flower comes to bloom
 as the butterfly,
 in the state of perfect selflessness,
 rests on it.


花無心

濁りなき身に

濁りなきものの寄り来る

濁りなき心に

濁りなきものの映り来る

濁りなきものを恋い

路傍の花に向う

花無心にして

喋来り

喋無心にして

花開くと や

噫々


Flowers in the State of Perfect Selflessness

There is a thing without impurity
  that comes close to a body without impurity.
There is a thing without impurity
 that comes to shine over a heart without impurity.
Yearning for the thing without impurity,
 I approach a flower at the roadside.
There exists a butterfly coming to the flower,
 which is in the state of perfect selflessness.
The flower comes to bloom
 as the butterfly, in the state of perfect selflessness,
 rests on it.
This is an old saying that I have heard.
Oh! What a cycle of selflessness!

  (English translation: Sakai, Takahiko)
  (English consultation: Frances Ford)


● 良寛さん(1758-1831)のメッセージ

  花は無心にして蝶を招き

  蝶は無心にして花を尋ぬ

  花開く時 蝶 来たり

  蝶来たる時 花 開く

  吾も亦 人を知らず

  人も亦 吾を知らず

  知らずとも帝則に従う  


 The flower invites the butterfly without so intending,
 The butterfly visits the flower without so intending.
 The flower blooms, and the butterfly comes,
 The butterfly comes, and the flower blooms.
 Likewise I do not know you;
 Likewise you do not know me.
 Without knowing, we follow Heaven’s way. 
        (英訳:“Haiku”の佐藤紘彰先生)


※ この英訳は,小原靖夫様(小田原市)からご恵贈いただきました,
『TALK TO A STONE (石と語る)』から引用させていただきました。
このご本には、品川哲山先生の書
と古来の詩歌が集められております。
全176頁のご本です。
英訳は“Haiku”の佐藤紘彰先生が
ご担当されています。
発行元の品川財団は1994年10月に発足して
おりますアメリカの非営利団体です。
書道を通して、また、コロンビア大学
のドナルド・キーン日本文化センターなど
いろいろな関係団体と協力して実施する
プログラムを通じて文化の懸橋となることを
目的されています。


※「知らずとも帝則に従う---
Without knowing, we follow Heaven’s way.」
のところ、きまっています。すてきな英訳だなあ、
うまいなあ、と感じました。


※ heavenの意味:
(Oxford Advanced Learner’s Dictionary[OALD] on
CD-ROM から)
God; Providence: It was the will of Heaven.
日本風に言えば「仏の道」「仏様の道」という感じでしょうか。
中国老子風にいえば損得を超越した
Tao タオという感じなのでしょうか。


● 大山真弘和尚さまが主宰される幸福ニュースから です。


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幸福ニュース(しあわせニュース) 第227号  2004年4月29日
幸せへのヒント満載のEmail magazineです。友達にも教えて皆幸福になろう
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 今回は『人生の夢が必ずかなう習慣術』(櫻井秀勲著、海竜社)から、役
立ちそうなものを皆様に紹介させていただきます。「朝もう少し早く起きる」
というような小さな変化が、積み重なると大きな力を蓄えることになるでし
ょう。どうぞ皆様も早速実行に移して見て下さい。

        【人生の夢が必ずかなう習慣術】

Aイメージを強くする習慣術

1.「うまくいかない人」は、時間は無限にあると思い込んでいるが、「うま
くいく人」は、有限だと知っているので、必ず期限つきで夢を実現しようと
考える。

2.「うまくいかない人」は、いまのことばかり考えてトクをとろうと思うが、
「うまくいく人」は、5年後、10年後の社会を考えて、いまを勉強の時と
決めている。

3.「うまくいかない人」は、かっこよく夢を追おうとするが、「うまくいく
人」は、泥くさく、愚直に実現していこうとする。

4.「うまくいかない人」は、他人と能力や地位、学歴などを比べて、最初か
ら落ち込むが、「うまくいく人」は、自分に備わっているものだけで、上手
に人生を渡っていく。

5.「うまくいかない人」は、最初は自分勝手にやって、失敗してから人のい
うことを聞くが、「うまくいく人」は、大勢の意見を聞いて、独自の判断を
決めていく。


B言葉の力を高める習慣術

1.「うまくいかない人」は、逃げ出しておいて、"あいつ、うまくやりやがっ
た"とうらやむが、「うまくいく人」は"なぜ、彼はうまくいったのか?"と研
究する。

2.「うまくいかない人」は、"頭が悪いのは親のせいだ"と、誰かの責任にし、
「うまくいく人」は"自分が悪かった"といさぎよく自分で責任をとる。

3.「うまくいかない人」は、"うちの社長はアホだから"と上司を批判し、
「うまくいく人」は"決断の根拠はなんだろう?"と、常に勉強する姿勢を口
ぐせにする。

4.「うまくいかない人」は、朝から悪口や陰口をブツブツいうが、「うまく
いく人」は、"今日も一日たのしくやろう"と、楽しさを強調する口ぐせを忘
れない。


C気遣いセンスを磨く習慣術

1.「うまくいかない人」は、常に論理的に考えるので、相手は納得するがよ
ろこばない。「うまくいく人」は、よろこばせることで納得させてしまう。

2.「うまくいかない人」は、いつも人を疑っているので、自分をあけっぴろ
げにしないが、「うまくいく人」は、相手を信じて"自己開示"をするので、
好かれやすい。

3.「うまくいかない人」は、ほめケチが多く、なかなか成果を認めようとし
ないが、「うまくいく人」は、とりあえず"ありがとう"と、感謝の心を表わ
す。


D集中力をつける習慣術

1.「うまくいかない人」は、全部をよくしようとして、結局どれも失敗する
が、「うまくいく人」は、一番重要なものに集中してまず成功させ、それか
らほかに向かう。

2.「うまくいかない人」は、なにが阻害しているかを書き出せないが、「う
まくいく人」は、阻害している要因を書き出して、どれから解決するかを論
理的に考える。

3.「うまくいかない人」は、株でもそうだが、損切りでカタをつけられない
が、「うまくいく人」は、裸一貫になって出直すことができる。ゼロになる
のをこわがらない。

4.「うまくいかない人」は、イザとなったら自分が逃げることを考えるが、
「うまくいく人」は、自分が責任をとろうと考えているので、かえってうま
くいく。

5.「うまくいかない人」は、金がない、コネがない、とないものばかりあげ
るが、「うまくいく人」は"あるものはなにか?"と、その中でできることを
考える。


E段取り力をつける習慣術

1.「うまくいかない人」は、いつもギリギリの時間であわてるが、「うまく
いく人」は、必ず、コーヒーを飲める時間的余裕をもっている。

2.「うまくいかない人」は、あわてる、忘れる、弁解するの三つの欠点をも
つが「うまくいく人」は、準備する、早く着く、からだをほぐすの三つの長
所をもっている。

3.「うまくいかない人」は、天候や気温まで気が回らないが、「うまくいく
人」は、大雨だったら、遅れたり予定が変更になるというところまで読んで
準備する。

4.「うまくいかない人」は、順序立てて異性を口説かない。すぐ抱こうとす
るが、「うまくいく人」は、まず相手に信頼してもらってから、口説こうと
する。


F実行力をつける習慣術

1.「うまくいかない人」は、目立つ仕事には張りきるが、裏方仕事はしな
い。「うまくいく人」は、どういう仕事でも勉強になると、より好みしない。

2.「うまくいかない人」は、実行はするけど、"大変だった"と一言多くいい、
「うまくいく人」は、困難な仕事でも、ラクにこなしているように見せる。

3.「うまくいかない人」は、長期間つづけることができない。日記でも三日
坊主だが、「うまくいく人」は、長期間の継続を大切にし、そこからなにか
を発見する。

4.「うまくいかない人」は、慎重というより結論が出ない。「うまくいく人」
は、結論を出して、実行しながら直すべきところは修正していく。

5.「うまくいかない人」は、最初から大きいことを実行しようと考えるが、
「うまくいく人」は、まず小さいことを実行し、信頼を受けてから、大きい
ことを実行していく。

6.「うまくいかない人」は、口先でごまかすのはうまいが、「うまくいく人」
は、言葉より先に、ノートに実行計画を書き出し、実行予定日を決めてしま
う。(終)

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*皆様のご意見、ご感想、ご投稿を
         rengein@uproad.ne.jp
            へどうぞお寄せください。お待ちしております。
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【坂村真民詩集】

《知らせてやりたい》

行きずりの人にも
知らせてやりたいことば
それは「念ずれば花ひらく」

耐え難い重荷を負うた
おんなびとへ
知らせてやりたいことば
それは「念ずれば花ひらく」

挫折に挫折を重ね
生きる望みを失った
若人へ
知らせてやりたいことば
それは「念ずれば花ひらく」

虫も鳥も
そういって鳴いており
路傍の草木も
そう告げており
宇宙の星たちも
そういって輝いていることを
知らせてやりたい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


*今号はいかがでしたでしょうか。 皆様のご意見、ご感想、ご投稿を
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 ようと思っております。読者と共にこのEメールマガジンを作り上げてい
 きたいと願っておりますので、御協力をよろしくお願い申し上げます。
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● 英語母語話者の潜在意識と冠詞の使い分け方の感覚(その9)

ジェイ・ルービン教授の日本語における「ハ」と「ガ」についてのご考察から
若干の引用をさせていただきます。

出所:
Jay Rubin: Making Sense of Japanese
― What the Textbooks Don’t Tell You

日本語の秘訣 ―「日本語は決して“曖昧”ではない」
(東京−ニューヨーク−ロンドン:講談社インターナショナル、1998)


Wa and Ga

The Answers to Unmasked Questions (ジェイ・ルービン教授)

こんな答がみつかってくると、「ハ」と「ガ」に関する
疑問点についてその仮面がはがれてきます。


(4) Which brings us to the eternal mystery of wa and ga.
If the Japanese are going to insist
on using a postposition (or particle)
to mark the subjects of their sentences,
why can’t they make up their minds and choose one
instead of switching between two
(not to mention occasionally substituting no for ga)?
Which is it, finally―Watashi wa ikimashita or
Watashi ga ikimashita? Both of them mean “I went,”
don’t they? So which one is right?

以上のようなことを想いおこしていますと、
わたしたち日本語学習者は「ハ」
と「ガ」が惹起する永遠の謎ときに導かれることになります。
「ハ」「ガ」のような後置詞(もしくは不変化詞、助辞とも呼べる)を
つかって日本文の主語が標識化されているのだと
力をこめて説かれようとされるのでしたら、
日本人はもうこの二つの助辞の間を行ったり来たりせずに
ちゃんとした決定をくだして
どちらか一つだけを使うようになぜしないのすか
(場合によっては、「ガ」のかわりに「ノ」を使うなどと
するのはもってのほか、ですよ)。
主語標識は、最終決定としてどちらにされるのですか
―「私ハ行きました」か それとも「私ガ行きました」か。
どちらもその意味は “I went”でしょう?というわけで、
いったいどちらが正しいのですか。



(5) Well, that depends upon what question the statement is
an answer to. (In fact, for a plain, simple “I went,”
both would be wrong, but let me get back to that
in a minute. Note here, too, that I am ignoring
such strictly conversation forms as Watashi, ikimashita.)

さてと、どうでしょうか。どちらが正しいか、
それはそのどちらの陳述でも良いのでしょうが、
「行きました」がどういう質問に対する
返答になっているのにか拠ることになります。
[Steve Allenショーの場合でも
答がどんな質問に対応しているのかが
大切なポイントになっていましたね]
(実をいいますと、単なる“I went” には、
「私は行きました」も「私が行きました」も
そぐわないでしょうね。だけど、
「どういう質問に対する答なのかに拠る」
というポイントに戻ってちょっと考えてみましょう。
またこういうことにもご注意ください。
つまりこの論述の著者が、とりあえずは、
無視して横においてある言葉遣いがあります
―たとえば会話でしか使わない
「わたし、行きました」のようなものは
ここでは考慮外にされています。



(6) The difference between wa and ga depends entirely on
context. Neither is automatically "correct"
outside of a con-text, any more than
"a dog" is more correct than "the dog."
Their use depends entirely upon
what the author assumes you know already
and what he feels you need to know.
They function primarily as indicators of emphasis.
If at any point in your reading
you are unsure where the emphasis lies,
one of the best things you can do
is ask yourself, "What question is this sentence
the answer to?"

「ハ」と「ガ」の使い分けは文脈に100%依存しています。
文脈を離れてどちらが正しいなどとは言うことは
できません。話し手は〈聞き手側のもつ事前の情報内容〉
を推し量りながら、この二つを使い分けることになります。
まず、指示物を強調する場合に、
「ハ」と「ガ」の使い分けが行われます。
強調点がどこにあるのかがわからないときは、
つぎのように自問してみるとよいのです。
「どんな質問にこのセンテンスは
返答していることになるのか」
というように考えてみればよいのです。



(7) In the case of Watashi wa ikimashita and Watashi ga
ikimashita, each is the answer to a question.
But let's not forget the sentence
Ikimashita, either. In figuring out what the implied questions
are, this could help you in both interpreting texts
and deciding which form to use in speech.

「私は行きました」「私が行きました」は、それぞれ、
ある質問に対する返答ですね。(単なる)「行きました」
という返答も忘れないようにしてこれもあわせて
考察してゆきますと、
読みの場合の解釈もできるようになりますし、
スピーチで話す場合の使い方もどちらにしたらいいのか、
これを決めることができるようになります。



(8) The Answers 「返答」
1. Ikimashita. 「行きました」"I went."
2. Watashi wa ikimashita. 「私は行きました」"Me? I went."
3. Watashi ga ikimashita. 「私が行きました」"I went."



(9) The Questions 「返答に対応する元の質問」
1. Do shimashita ka. 「どうしましたか」
"What did you do?"
Or: Ikimashita ka. 「行きましたか」 "Did you go?"

2. Soshite, Yamamura-san wa Do shimashita ka.
「そして、山村さんは どうしましたか」
"And now you, Mr. Yamamura. What did you do?"

3. Dare ga ikimashita ka.
「誰が行きましたか」"Who went?"


(10-1) I've included number 1 here
because that is the way to say "I went"
in the most neutral, unemphatic way,
emphasizing neither who went
nor what the person did.

ここでは、No.1の使い方も入れてありますが、
そのわけは、このような "went" がいちばん中立的で、
強調とは関係のない言い方だからです。
この場合は、誰が行ったのかとか、
どんなことをやったのかということは
強調されていないことになります。



(10-2) That's why I said above that for a plain, simple
"I went," both the other forms would be wrong,
because it is precisely to add emphasis
that they would be employed.
When we say "I went" in English,
we're assuming that the listener knows who the "I" is.
And when we assume that
our Japanese listener knows who did the verb,
we just say nothing for the subject.
Speakers of English are so used to stating
their subjects that it takes a lot of practice for them
to stop using either form 2 or 3,
but perhaps becoming more aware of
what they are actually saying
could help break them of the habit.

だから、単なる "I went" については、
2や3の形を使うと間違いだということになります。
なぜかといえば、こういう使い方をすると強調されている
ことが明確になってしまうからです。英語では、
"I went" という場合、
"I" とはだれのことかということは聞き手にとっては
既知情報である、ということが前提になっています。
ところが、日本語ではこの "I" という主語は不要です。
英語を母語とする人々[英語話者]は
(日本語を話すときにも)主語を言いたがるのですが、
これはいけません。
この癖をのりこえるにはかなりの訓練が必要になります。

                         (拙い和訳は坂井孝彦によるものです)


● あとがき Postscript

浅野博先生(筑波大学名誉教授)
のご教示によりまして、
「直読直解」という和語を英語で表現するには
つぎのように言えばよいことがわかりました:

 ○ 英語を直読直解する
    = read and understand English directly without translating
           it (into Japanese) in one's head
               (フェイバリット和英辞典)

   (浅野先生はこの辞書の筆頭編集委員をされておられます)

 
 他の和英辞典ではどのようになっているのか調べてみました。

 ○ 新和英大辞典 第五版
    直読する=read[recite] 《classical Chinese》 in the original order
                       (without applying Japanese word order)

  ○ ウィズダム和英辞典
    漢文を直読する = read classical Chinese writing
                                 without applying Japanese word order


  ○ プログレッシブ和英中辞典第3版
     漢文を直読直解する = read and understand classical
                                Chinese without rearranging it into
                                a Japanese syntactical pattern

 ○ ジーニアス和英辞典 第二版
     漢詩を直読する = read a Chinese without translating it
                                    into Japanese


  以上の和英辞典5種類のうちでは、「英語を直読直解する」との
 例文を掲げているのはファイバリット和英辞典のみであることが
 わかりました。和英辞典は英語に関する辞典ですから
 「英語の世界で話題になっている直読」の意味も
 例文化して掲載されてゆくほうが好ましいように
 感じられます。


○ 広辞苑における「直読」「顛読」についての説明はつぎのようになっています。
   
   直読=漢文などを返り点によって訓読するのではなく、上から下へまっすぐに
        音読すること。
   顛読(てんどく)=漢文などを返り点に従って、下から上へ返って読むこと。


○ 寺島由美子. 『英語 直読直解への挑戦』. あすなろ社. 2002.
      では、Read and understand English without rearranging it
      into a Japanese syntactical pattern を副題としています。
   プログレッシブとほぼ同じ感じの英語表現になっていることが
   わかります。

○ 斉藤栄二. 『英文和訳から直読直解への指導』. 研究社出版. 1996.
      では、「直読直解」に相応する英文表現をみつけることができません
   でした。

○ インターネット上で2006年6月に
   日本アイアール社から発行いただいた電子ブック
   『文頭からの順送り読みによる 英語速読即解への法』
   は、考え方は、寺島由美子氏の「直読直解」に近いものです。
   (寺島由美子氏の分析は細部にいたるまで綿密です。)


● あとがきの2
 水原秋櫻子につぎのような句があるそうです。
 晩秋の鳥と言えば、啄木鳥(きつつき)で―
 
   啄木鳥や落ち葉をいそぐ牧の木々


 拙宅の柿の木も、葉をすべて落とし、
 わずかに五つ六つの実を
 残しながら冬支度に入りました。
 「秋深し」の静けさにつつまれております。



● あとがきの3

  畏友Nさんからのお便り:

 織田信長が能『敦盛』の舞 
「人生五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり」
かの有名な言葉を残しましたが、我々も18歳の青春から既に50年が過ぎ、
全てが走馬灯の如く、全てが昨日の出来事に思えてなりません。
 私共の年齢は奇しくも戦争を体験し、戦後の貧しさを知り、
16歳で神武景気・20歳で岩戸景気・26歳でいざなぎ景気と
日本の高度成長真っ只中を生き抜き、
48年からの第一次・第二オイルショックを経験しました。
 その後日本経済は不死鳥の如く回復し、
86年からバブ景気が始まり、平成3年のバブル崩壊と
誠に多色多難な人生を歩んで来ました。
 愈々古希到来。いにしえから古希稀と言われて来ましたが、
現代では古希は普通であり、喜寿・米寿に向かって肉体の管理と共に
精神的な豊かさを向上させなければなりません。
 孔子曰く『七十にして 心の欲する所に従へども 矩をこえず』
とはなれませんが、一寸でも近ずく努力をしたいと思います。
 何方にも話して居ませんが、私は高校2年生の夏休み、
一ヶ月間和歌山県那智の滝近く、
天台宗・那智山青岸渡寺(せいがんとじ)に修行し、
17歳で托鉢をやり、50歳から10年間、
臨済宗妙心寺派岐阜市・瑞龍寺専門道場で、
毎年3日間の夏安居に参加し雲水修行を行いました。
 私の精神的健康方法は朝三十分の読経と三十分の座禅です。
肉体的には朝3分間体操、ゴルフクラブ素振り30回、一日一時間の速歩です。
休日は下手なゴルフか、下手な俳句か、下手な書道か、暇があれば
読経と座禅三昧であり、家内とは月1〜2回の四季花散策か山寺詣でが
基本スタイルです。
 只今人間ドック異常なし。古希青春と参りたいものであります。
 益々のご活躍を祈念申し上げます。
 少し余分な事を申し述べ失礼しました。

「遠足の 山又山を 木霊せり」 中日新聞掲載句
 それではお健やかにお過ごし下さい。


※ お便りを感謝して拝読いたしました。
  名文ですね。ありがとうございます。
●写真:「くり」の絵手紙―茂木一九三さまからお贈りいただきました。
  絵手紙に「最近の一首」としてつぎのようなすてきなお歌を
    添えてくだされました:

   秋の野の

   散歩みやげの

   数珠玉を

   磨きてつなぐ

   妻は少女に


※ 茂木大兄様は1930年生まれであられます。

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