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● 清水英雄先生のメッセージ
板の間のすき間から
「寒いよ一」といって なかなか 起きない私を フトンから ひきずりだして 板の間に たたきつけた あの母の厳しさ 今となっては それも 良き思い出 みな 甘く切ない 少年の日の 思い出 すき間から 板の間の 母がこっちを みているようだ
Through
Crevices of a Wooden Floor
I said, "How cold!" I didn't get up
readily. Dragged out of the bedding, I was knocked down flat on the
wooden floor by Mother. How stern she was! I now recall it all as a dear
memory, as well as a sweet and heart-rending memory of my
boyhood.
Heavenly Mother seems to look at me from that side over
there through crevices of the wooden
floor.
(英訳:さかいたかひこ)
(英文校閲:Frances Ford)
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● 日本の歌心の英訳比較:心情・情感の示し方・伝え方
―Greg Irwin・中野一郎・Susan
Osbornの各英訳歌詞から
4.
七つの子 (1921) 野口雨情作詞・本居長世作曲
Seven Little Babies [Nanatsu no
Ko] Lyrics by Ujo Noguchi Music by Nagayo Motoori by Greg
Irwin
/Seven Baby Crows (Ujo Noguchi / Nagayo
Motoori) by 中川一郎
//Crow(←かなりの改訳ないしは創作訳) by Susan
Osborn
1. 烏 なぜ啼くの Mother crow, why do you cry?
/Flying
crows, why do you call?
//One summer day, crow was heard to
say
烏は山に Up there on the mountain high
/‘Cause on
the mountainsides
//Calling from an old oak
tree
可愛い七つの In my nest are seven little babies
/We’ve
seven, seven little babies
//See my children, seven lonely
children
子があるからよ That is the reason why
/With lovely round
eyes!
//Sleeping in the nest I
made
可愛 可愛と烏は啼くの "Caw," they cried "Caw,"
they cried As mother crow was standing by
/ “Kah-kah-kah,” so we
are calling,
//But while they sleep, old sun is creeping
//Higher in the morning sky
可愛 可愛と 啼くんだよ "Caw," they
cried "Caw," they cried "Tell us, when can we fly?"
/“Lovely,
lovely,” so we are always flying!
//Out of bed you sleepy
heads // Today you learn to fly
2. 山の古巣へ Up in the
sky, in a tree so high Seven little babies sing
/Come and see their
nests in the trees
//Mama crow, gliding high and
low
行って見て御覧 Look inside, their eyes are open so wide
/Here
on the mountainsides
//Over woods and fields of
grain
丸い眼をした いい子だよ Waiting for the food mother
brings
/Where there are nice little babies /With lovely round
eyes!
//Wake your children, seven lovely children //Teach them
how to fly away
可愛 可愛と烏は啼くの "Caw," they
cried "Caw," they cried As mother crow was standing by
//Spread
your wings, leave the nest //Trust the wind to do the rest
可愛
可愛と 啼くんだよ "Caw," they cried "Caw," they cried "Tell us, when can we
fly?"
//Far below we’ll hear them crow //Today I learned to
fly
3. 烏 なぜ啼くの Up in the sky, in a tree so high Seven
little babies sing
//One summer day crow was heard to
say
烏は山に Look inside, their eyes are open so wide
//Calling from an old oak tree
可愛い七つの子があるからよ Waiting for the food
mother brings
//See my children, beautiful children //Flying
through the air so free
(考察)
・烏 なぜ啼くの
Mother crow,
why do you cry?
/Flying crows, why do you call?
//One summer
day, crow was heard to
say
Osborn訳は、 この日本語歌詞の内容をもっとひろく解釈して 「からすの子が 母烏に育てられて ついには もう巣を飛びたつのだ, という段階までの」 英語歌詞へと変更している。 かなり自由闊達な創作的な英訳詞 という感じになっている。
・烏は山に
Up
there on the mountain high
/‘Cause on the mountainsides
//Calling from an old oak
tree
からすの巣はどこにあるのか。 三者三様のとらえかたとなっている: 「山の高み」対「山腹」対「オークの老木」という対照がみられる。
・可愛 可愛と烏は啼くの
"Caw,"
they cried "Caw," they cried As mother crow was standing by
/
“Kah-kah-kah,” so we are calling,
//But while they sleep, old sun is
creeping //Higher in the morning
sky
Irwin訳とOsborn訳とでは、 訳詞者の視点はからすの巣から離れたところにある。 だから, 「からすの子」を theyでとらえている。
これに対して、 中野訳では 「からすの子」を weという表現でとらえている。 この直接話法的なとらえかたは 日本語では普通の用法である。 しかし,英語では, ふつうの英米人は, こういうとらえかたをしないで, いわゆる間接話法的なとらえかたをする。 だから,英訳詞ではふつうは, theyを使うほうがよいのではないのかと思う。
・山の古巣へ 行って見て御覧 Up
in the sky, in a tree so high Seven little babies sing Look inside, their
eyes are open so wide
/Come and see their nests in the trees /Here on
the mountainsides
//Mama crow, gliding high and low //Over woods
and fields of grain
Osborn訳においても,Irwin訳にみられる
mother crowと同じように、親烏として登場するのは Mama crow =「母烏」= のみである。
「父烏」は登場しない。
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● 言葉の力:曽野綾子さんの言葉から(その2)
曽野綾子『失敗という人生はない』1988.
海竜社 から:
(p21) 初めから終わりまでいいことなし, なんて人はめったにいない ------初め悪ければ終わりよし, 初めよければ終わり悪し------
(p23) 私たちはまるで運命という当直を 交代で勤めているようなものだから, 現在輝いている人とそでない者の間には 何ら本質的な差はないのである。
(p23) 人間は, 常に自分が手にしてない運命の方を明るく考える。
(p33) 人間は断念を知る時に, 初めて平凡な力でも本質にもどれる------
(p37) 人間は肉体的に生きてこそ人間なのだ。 しかし, 魂を殺してまで生き延びるのに, この世は値するものだろうか。
(p40) 「人間はだれだって,皆死にかけだよ, 僅かな時間の差だよ」
(p47) 世の中には,一人の人を死なせないために 何人もの医師団がついているような人もいる, 明らかに死にも軽重があるのだ。 しかし,いかに重要な人でも, その死によって 世界が狂ったり立ちいかなくなったりしたということはない。 その人の死後にも野山には若葉が芽吹き, けんらんたる花が咲く。 その営みは少しも狂うことがない。 人間の死の何という軽さよ! 自然は一人の人間の死について, まさに何一つ記憶しようとせず, いたみもしないのである。
(p49) 私たちにとって危険なのは 愛に裏切られることではない。 愛を過信して その結果に絶望する脆い精神である。
(p61) 人間は他人から実に思いもかけぬ面を指摘され, そこで自分の姿を発見する。
(p62) 共にくらす者の希望を叶えてやろうとするのは もっとも自然な無理のない感情であって それがなければ家族を構成する意味がない。
(p64) 人間存在の総ては 他の人々のおかげだ, ということを心の奥深くでは常に認識していること------
(p69) 自分が傷つかずにしむおきれいごとの話など------ 多くの場合この世ではほとんど力をもたない。
(p70) 老年の苦しみは 「天 = something
great」が 私たちに耐える力があると見込んでおくられた愛である。
(p71) 人間は死ぬまでに いくら年をとっていても 死の前日まで いつでも生き直すことができる。
(p73) 先入観は精神の老化である。
(p73) 納得:毎日「今日が最後の日でもまあまあ悪くはなかった」 と思うくせをつけること。 断念:努力はしてみるが諦めねばならないことがある。 「人生は------原型としてはろくでもないところだから, ほとんどの希望はかなわないで当たり前だ」 と肝に銘じること。
(p79) 「天」は ゆっくりと実の熟するのを待つように 人間が充分に苦しみ, 迷い, 自らきずついて答えをだすのを待つ。 いい年をして幼稚な論功行賞を行なうことで いっぱしに人を使っている と信じているような単純な経営者の ようなところはいささかもない。
(p81) 真の人間改造はだれかに命令されたり 制度として強制されたりするものではなく, 個人が常にひそかに 自分ひとりで絶対者との関係において 自分を変えていくものなのである。
(p84) 自分をインチキな奴だと思える人は 信仰をもてる。
(p85) 人生は報われなくてもいい, ということを徹底して分からせてくれるのが信仰。
(p86) 信仰をもつようになると, 失敗した人生というものがなくなる。 それは何をしても失敗しないということではない。 ある人間の生き方が 常に「天=something
great」の存在 と結ばれて考えられていれば, かりにいささかの挫折はあっても, どのような人生にも意味を見出すことができる。 ------何がこの世の光栄かということに対する価値は ひそかに逆転する-------
(p90) 生命の尊重などというのは, 自分にとって都合のいい人間が生きていてくれる時だけ, 人々が口にする体裁のいい言葉なのである。 世の中には, 生きていてほしい存在もあるだろうが, それと同じくらいに死んでほしい人物もいる。 そのどちらも, 判断のめどはつまりは利害関係なのである。
(p91) 民主主義というものは, 「一人でも反対があったら橋をかけない」のではなく, 「五十一人の賛成があったら,四十九人が我慢する」 ことである。
(p91) 「人間の生命は地球より重い」などということは全くの嘘で, 地球はどれほど人間の生命を大切にしていようと 「十人救うために一人を見殺しにするのが原則」 であることを見きわめねばならない。
(p94) 苦しみがないと祈らないから, 天は私たちに祈りを忘れさせないために, 時々,苦しみをお与えになる。
(p95) 祈るなんて非科学的だなんていうのは 貧しい瘠せた心情なんですよ。 それは人間の思い上がりなんだ。 やるだけのことをやって,祈るほかはない。
(p109) 自分の能力に絶望しているのは あなた一人ではない。 多かれ,少なかれ, 誰もが自分の弱さを道づれにしている。
(p110) 自分だけ能がないのだと思わない。 他人も多かれ少なかれ似たような悩みに 苦しんでいると思い至ればよい。 この共通の無力感こそ人間を解放する。
(p111) 強い人=怖さに耐える人。 一人の人間の中に偉大なところと卑怯なところと, 優しさと鈍感さが共存しているのが普通。 正しいと思うことは決して人にゆずらず, ひそかに戦って死ねる人は本当に強いのである。 自分と反対の立場をとる人をゆるせないのは弱者である。
(p113) 強そうに見えても 暴力的な人(ことば,行動共に)はみな弱い。 そして弱い性格というものは 多分一生治らない。
(p115) 完全を望まないでほしい ------やりすぎるとどこかに無理がでる。
(p116) 人間の能力の個々の分野において, 優劣の差があるのはれっきとした事実である ------日本人には「先天的」という発想を 許さない思想暴力があるでしょう。
(p117) 素直と正直とは 昔からいいこととなっていたんですけどね。 それは, いざという時には, うそをつける能力も自制心もあった上でのことでね。 自分もなくて素直などいうのは, いわゆる愚民 ------おとなしくみえるけど この世で最も危険な分子。 もっともそれでも生きていく権利はありますよ。
(p118) 人間の行動の動機はすべて理不尽でおろか: 平凡な人々の憎悪の渦をしずめる方法:報復。 報復を望んだ人々の心に 冷え冷えとした虚しさが流れるとき, 我々ははじめて戦いの本質をみたことになる。 それこそ〈伝道の書〉の著者のいう 「空の空を味わうこと*」。 報復,報復の報復,報復の報復の報復: 不毛の情熱←人間のおろかさにとって必要なものであった。
(*曽野綾子: 人間は多くの常識に囚われ、 名誉に執着するが、 それを実際に手にする頃、 もはやそれが彼に何の幸せももたらしはしない ことを知るようになる。 ノ−ベル賞をもらったヘミングウェイのその死まで を読んだとき 私は慄然としたものである。 世界的な賞などというものも、 彼に満足や生きる意欲を与える手がかりには 全くならなかったのであった。 「これもまた空であって、風を捕えるようである」 (旧約
伝道の書6・9) (出所:曽野綾子. 1985.『夫婦、この不思議な関係』PHP. p. 257)
[ECCLESIASTES
6:9]: Better is the sight of the eyes than the wandering of desire; this
also is vanity and a striving after
wind.)
(p120) 敵の求めるものを 黙々として与えるとき, それは一見, 相手を屈服させていないように見えながら, 完全に相手の心を掌握する。 ------報復というおろかな情熱を この世からなくせない限り, 私たちはせめて, その情熱の使い方を知り, ついでに勝利の方法を知るべきである。
(p123) 人間は本質的に単一ではない。 完全な善人もいない, 完全な悪人もいない。
(p124) 肉親の死者に対する思い出は よいことばかり, 輝いている面だけが 記憶に残るのは当然である。 しかし, 死者が完全であることは 一度もないといっていいだろう。 死者は, 生きているうちにさまざまな善と共にさまざまの悪をなした。 ------あらゆる存在は輝ける面と醜悪な面を内包する。
(p125) あらゆることには二面性があることを知らねばならない。 慎重であることは,よくも悪くもあり, 人の好いこともよくも悪くもある。 頭のいいことさえ,必ずしもよくない。 几帳面などというのは 頭の良さと同じ程度に高く評価されているが, 実は周囲にいる人を 破壊的な不幸に陥れる場合もあるものだ。 こういうことを世間は どうしてかはっきりいわないのである。 ------あらゆるものは毒を含み, すべての美と善は, 醜と悪のうらうちによって 支えられる面が必ずある。
(p131) 悪に触れてはいけない, というのが 日本の教育の幼児性を示す特徴である。 悪は示唆するものではないが, その存在をはっきりと見据えさせるべきものである。
(p134) 断念は決して非人間的なことではない。 むしろ人間をして断念とは 敗北だと思わせるような考え方こそ思い上がり。 ------現代社会では「断念」は 反社会的なレッテルをはられる ------要求完遂は弱い人間をつくる →断念すべきことがあるということに ならされていないから子供たちは自殺する。
(p135) 不運を認めることと, 断念を承認することは 人間完成の上に不可欠。 不運をみとめない人は 自分の本当の人生を手にいれられない。 断念を承認しない人は 人生を完結させられない。
(p136) 現世では 本質的に「不運」はなくならないし, 「この世には身の不運と思って 諦めるより仕方がないことは いくらでもあるはずだ」
(p139) 私たちは与えられている限り, 不満だらけである。 与える歓び, 損のできる強さをもつことで 人間としての尊厳を取り戻す。
(p140) 感謝すべきことの一つもない人生はない。 だれの力で ここまで生かされてきたかを思えば だれかに何かを感謝できる。
(p141) 幸福というものは 客観的な状況ではなくて 幸福をうけとり者の能力にかかっている。
(p143) 自分をあるがままに示して見せられなくて, あちこちで無理している人々は一生, 精神の自由を味わったことのない人だ。
(p144) 私たちが本当の自由を手にするのは実にむつかしい。 それには, 一人だけ否といえる勇気, 社会の嘘を見抜くだけの勉強, 虚栄心からの解放などが必要。 天は私たちの愚かしい狂奔を二千年前からお見通し。
(p145) 真実とは何か。 いくつもある。 そこにいた人々の数だけ少しづつちがったものがある。
(p147) いかにもそれらしいことは偽物。 芝居=嘘そのもの。
(p149) 悲しみの中でこそ, 人は本来の人間の心にたちかえる。
(p149) 何がどうあろうとも 私たちの望まぬ試練が私たちを強める。 人間は苦しい場合, 一人で耐えねばならない。
(p151) 北国の冬の野菜がおいしいのは 冬の間雪の下で耐えて育つからだ。
(p152) 豊かさは往々にして 人の心を狂わせることがあって危険なもの。 貧しさは人間らしい心を失わないための 天からのおくりもの。
(p153) 何かを得ようと思ったら その代価を払わねばなりません。 得たいものを手に入れる ------どれだけ傷つくことを承知して何をやったかによる。
(p154) 社会保障制度というものは, 受ける側からみれば用心しなければならないもの。 人間はもらっているかぎり不満だらけ。 そして,政治的・社会的制度は その心理までは配慮してくれない。
(p158) 私たちは他人に親切でありたいと願っているのである ------ ・相手をもとめること ・かたりかけること ・共に喜ぶこと ・ほめること ・与える光栄を相手に担わせること。
(p159) 本当は, 他人がやらなくても, 自分は黙々と「義務」を果たし, 自分は放棄しても 他人に「権利」をみとめるべき------
(p160) 「いいえ」ということは 決して相手を拒否することでも 意地悪をすることでもない。 むしろ多くの場合, それは各々の立場が違うことの確認である。 時々は自分が少し不便し, 辛い目にあい, 不利を承知で引き受ける。 それが本当の「はい」である。
(p167) 人間の人間らしさ, 人間の精神性, 人間の能力を示すものさし: その人がどれだけ自分以外のことに心を使っているか。 自分の利得のためではだめ ←これは餌にありつこうとする犬でもすることであって, 人間が人間しかできないことをしていることにはならない。
(p170) ある人間の戦後が, かりにどのように 厚顔で 破廉恥で 鈍感で 無感動で 貧しく利己的な精神風土をもっていようとも, それを他の人間がさばくことは不可能である。 彼はその貧しさゆえに 人生を深く感じる恩恵を得なかった, ということで, すでに自ら罰せられている,と思うしかない。
(p173) 人間関係において, あまりに誠実で完全を望みすぎていないか。 人間は他者を完全に支配することも律することもできない。
(p174) 人間関係は永遠の苦しみであり, 最初にして最後の喜びである。 どんなにうまく関係を作ろうとしても わたしたちは必ず間違いを犯す。 それは, 個体としては私たちは別個であり, 考え方も違うからである。 だから失敗をおそれることもない。
(p175) 好きになれない人は どうしてもできてしまうだろうが, その人をいらないと思うことは高慢。
(p176) もともと人間は 他者を理解不能なのだ。 どういうわけか, 人々はその気になりさえすれば, 分かり得ると信じ込んでいる。
(p176) 我々は社会から恩恵も受けるが 被害も受けるようになっている。 恩恵だけを受けて被害を受けない社会など まず出現することはありえない。 ------人間は受けた恩恵は忘れがちで 被害のみを長くつよく覚えるものだ。
(p177) 人間関係の基本形はぎくしゃくしたもの -----齟齬なのである。 誤解であり無理解なのである。
(p177) 過小評価されるということは 過大評価もされるということで, そのどちらにも抵抗力がついていなければ 私たちは自分を見失わずにいることが不可能なのである。
(p182) 完全という人はいない。 と同時に尊敬すべき点がないという人も皆無に近い。 ただ人には好みがあるから, 尊敬していても付き合いきれないということはある。
(p182) その人の誤解されやすい点に 正確な意図をくみとってこそ, 親友の維持というものができるのである。
(p183) ひとりなら自分を保てるのに 集団になると自分を失うのはいともたやすい。 集団の中では個人を失わないことは 異端といわれる ―しかしそんなことはない。
(p183) 人間万事泣けば相手より下, 腹をたてれば対等, 笑えば上。
(p184) 我々がベストをつくすと思うことは 自分からみてのことであって, 他人にはせいぜいうまくいって ベターなことができるだけである。
(p188) 子供は別の個人だ。 ------親孝行ということばはいいものだが, それは親子間の特別な人情や やさしさを律するものであって, 子供と親が一体であることを示すものではない。
(p188) 本当の友人の間柄というものが お互いの美点ではなく 欠点を愛するものであるように, 子供の多くは 母親のだめなところをけっこう愛してくれる------
(p188) 教育というものは 一人の個人を自立させること, だから子供がひとりでくらしができる, ということは教育の成功。
(p189) 兄弟であろうが 親子であろうが 個体は別であって 他の人間まで 私たちは 完全に支配したり律したりすることはできない。
(p190) 生活は自分でえらびとるもの: 権利は人間として 基本的な線においてのみ平等であるだけで, 後は, 個人の性格, 運・不運, 才能, 勤勉さ, 努力するかしないか, によって(平等の度合い)は当然違う。
(p190) 生活は自分でえらびとるもの: おいしいものをたべること, それも気の合う相手と食事すること, 会話を交えて。
(p192) 時間を見ることによって 人間は本質を見失う。 《十二時まで勉強しよう》とか 《昨夜は5時間しか眠っていない》という言い方は 人間が時間に振り回されていることを示す。-------
(p198) 本職とは 書いてこそ作家, 教えてこそ教師である。
(p204) 真の専門家とはいかなるものか。 それはすべてのことについて いくらか知っており, あることについては全部知っているひと。 他のいかなる分野についても 関心を持ちそのことを軽蔑しないことなのである。
(p209) 日本人は約束を守ることに 道徳的な責任を感じたりするが, 地球上のおそらく過半数の人間は 約束は守れるときだけ 守れるものだと思っている。 (※ 100ヵ国以上を歴訪された曽野さんならではのご識見)
(p218) 最高の美徳― それは精力, 自分を偉大ならしめるもの=精力, ただしその報いたるや孤独。
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● あとがき Postscript
メールの最後に添える表現:
@ 「ご自愛ください。」 Take care. Take good
care. ( = Please take good care of yourself.
)
A 「どうぞよろしくお願いいたします。」 「よろしく」 Best regards,
With best wishes, All the best, Best,
(Sincerely, Sincerely yours, Yours
sincerelyはメールでは ほとんど使われないそうです)
B 「このデータを添付ファイルでお送りします」 I am
sending an email with this attachment. I am sending an email with
this attached file. I attached our sales record of this
year. (Please have a
look.)
出所:R・パルバース.『日めくり現代英語帳』.
日本経済新聞出版社.2007. pp.34-35. |
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