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@Christy

NO.428
平成20年 2月11日
February 11,2008

● 清水英雄先生のメッセージ

母の躾


私が小学校四年の時
雪の降リしきる日
学校から帰って
ランドセルをほっぽリ出して
外に遊びにでてしまった

帰ってくると
ランドセルの中身は
全て庭の雪の中へ
ほおリだされていた

私は泣きながら
雪にまみれた
教科書や文房具を
ひろい集めた

こうした母の厳しい
整理整頓の
躾が
今の私の良き習慣となっている

習慣は母 
母は習慣




Mother's Discipline for Me


One day when I was in the fourth year of elementary school,
it was snowing incessantly.
Upon arriving at home from school
I threw away my knapsack down,
and went out again to play.

When I came home again
I found all the contents of my knapsack thrown away,
piled in the snow in the garden.

Crying over my textbooks and stationery smeared with snow,
I gathered them.

Such stern discipline by Mother
for keeping everything in good order
now makes me form good habits.

My good habits have come from Mother's training;
Mother's discipline is the origin of my good habits.

    英訳:さかいたかひこ
    英文校閲:Frances Ford


● 日本の歌心の英訳比較:心情・情感の示し方・伝え方(その6)

    ―Greg Irwin・中野一郎・Susan Osbornの各英訳歌詞から
                           坂井孝彦


5. (再掲)
  赤とんぼ (1927)   三木露風 作詞・山田耕筰 作曲

  Dragonflies [Akatombo]
         (Lyrics by Rofu Miki   Music by Kosaku Yamada)
                          by Greg Irwin

      /Red Dragonflies
            (Rofu Miki / Kosaku Yamada)
                          by 中野一郎

        //Autumn Song
        by Susan Osborn


1.夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
Dragonflies as red as sunset,
Back when I was young
In twilight skies,
There on her back I’d ride
When the day was done

/To the glorious sunset colors red dragonflies belong,
      /When did I behold them as my mother carried me along?

        //Dragon flies, bright red dragon flies
        //Shining in the sun
        //Summer’s gone, the leaves are drifting
        //Gently down from the golden trees


2.山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだ は まぼろしか
Mountain fields, in late November
Long ago it seems
Mulberry trees and treasures we would gather
Was it only just a dream?

      /Was it just a slowly fading dream, when I was a child?
      /I picked up and gathered in a basket mulberries of the wild.

        //Mountain farm, ripened mulberries
        //Filling baskets full
        //Harvest time, the autumn winds
        //Are blowing seeds to their new homes


3.十五でねえや(姐や)は 嫁に行き(ゆき)
お里のたよりも 絶えはてた
Just fifteen, she went away one day
Married then so young
Like a sister lost, I loved and missed her
Letters never seemed to come

      /How I miss the maid so kind who was married young,
      /How I love my infant days with the playmates I was among!

        //Far away, I’ve traveled far away
        //Living all alone
        //Season’s change, the year fly by and
        //Still, I hear the autumn song of home


4.夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
Dragonflies as red as sunset
Back when I was young
Now in my eyes,
When I see dragonflies
Tears are always sure to come

      /To the glorious sunset colors red dragonflies adorn,
    /Don’t you see alighting on tops of reeds they sojourn?

//Dragon flies, bright red dragon flies
        //Shining in the sun
        //Summer’s gone, the leaves are drifting
        //Gently down from the golden trees


(補足)
Irwin訳 “Mulberry trees and treasures we would gather”
におけるtreasureについて=貴重品,大切な品:
1. art treasures (絵画・彫刻などの)名品、
2. He is a treasure to the teaching staff of our university.
「彼はわが大学の教授陣に掛け替えのない存在である.」


(考察)
「夕焼け小焼け」にみられる
秋の季節感、
寂寥感、
しみじみとした心情、
すがすがしい清潔感―
元の日本語の歌詞に込められている
こうした日本人の
心の原風景、情感、心情、心意気などを
どのようにして
英語の歌詞のなかにうたい込めてゆけばよいのだろうか。

Irwin訳には、
元の日本語歌詞の言外の情感が、
季節感も、寂寥感もともに巧みに表現されている。

Osborn訳にも、
この情感はただよっている。
ただし,元の日本語歌詞の内容をかえている。
主人公が遠く離れた旅先の異郷の地から
ふるさとを思う歌へと改訳している。
したがって
「お里のたよりも 絶えはてた」
という部分の寂寥感などの
英訳詞への転換は省除されている。


・夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か

Dragonflies as red as sunset,
Back when I was young
In twilight skies,
There on her back I’d ride
When the day was done

/To the glorious colors red dragonflies belong,
      /When did I behold them as my mother carried me along?

        //Dragon flies, bright red dragon flies
        //Shining in the sun
        //Summer’s gone, the leaves are drifting
        //Gently down from the golden trees

Irwin訳:
細部にわたる論理構造が
明瞭ないかにも英文という感じの訳詞になっている。
Irwinは、
この「赤とんぼ」の歌詞にでてくる
「小焼け」の意味が分からなかった、
翻訳は難しい、と述懐している。
しかし,
このIrwinの訳詞は,なるほど,
と思わせる巧みな訳詞のように思われる。

日本の歌心のなかに織り込まれた
四季の情景、
その季節感、
悲しさ、
寂しさ、
すがすがしさなどが、
Irwin訳詞のなかに実感できる。
Irwinが日本のうたに魅了された,
という気持を一体感をもって実感できるように思う。

Osborn訳:
「負われて見たのは いつの日か」のところは、
//Summer’s gone, the leaves are drifting
//Gently down from the golden trees
として、
元の日本語の歌詞の意味を英訳することは
ほぼ放念した創作訳詞となっている。


・山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだ は まぼろしか

Mountain fields, in late November
Long ago it seems
Mulberry trees and treasures we would gather
Was it only just a dream?

      /Was it just a slowly fading dream, when I was a child?
      /I picked up and gathered in a basket mulberries of the wild.

//Mountain farm, ripened mulberries
        //Filling baskets full
        //Harvest time, the autumn winds
        //Are blowing seeds to their new homes

Irwin訳:
in late Novemberという補訳語句によって
この歌が示唆する季節・時期を
明瞭に表現している。
たいていの日本人には
たぶん明らかである
「赤とんぼ」の季節―「秋」。
この「秋」を、
Irwin英訳詞は、明白にしている
―補訳を加えて
Mountain fields, in late Novemberのようにしている。
単なる逐語訳では、
この歌の季節感が
英語圏の人々には、
多分つたわらないために、
このような具体性をもたせるのだろうと思う。

Osborn訳:
「まぼろしか」の部分の英訳:省除している。


・十五でねえや(姐や)は 嫁に行き(ゆき)
お里のたよりも 絶えはてた

Just fifteen she went away one day
Married then so young
Like a sister lost I loved and missed her
Letters never seemed to come

      /How I miss the maid so kind who was married young,
      /How I love my infant days with the playmates I was among!

        //Living all alone
        //Season’s change, the year fly by and
        //Still, I hear the autumn song of home

Irwin訳:
名訳に属する英語歌詞であるように思う。
「十五でねえや は 嫁に行き」のところでは、
Like a sister lost I loved and missed her
のような英語歌詞を補いながら、
元の日本語原詞の言外に込められた情感を
みごとに訳出して
寂しい切ない気持を明確に表現している。

中野訳詞には,
How I miss the maid so kind who was married young
のような関係代名詞が使われていることがある。
しかし,
Irwin訳詞では
関係代名詞は原則としては使われていない。
ほんのときどき,
韻をふむためにthatが使われていることがある程度である。
Irwinは意識的に歌詞のなかに
明示的な関係代名詞は入れないようにしているように見える。

Osborn訳:
日本語歌詞の意味内容をとらえることを
ほぼ放念した創作訳詞である。


「赤とんぼ」のIrwin訳は、
英語の論理・理屈と
日本語歌詞のなかに込められている
季節感・寂寥感を
ないまぜにして
「論理と感慨」をみごとに織り交ぜた
名訳英詞になっているように思われる。



● 言葉の力:曽野綾子さんの言葉から(その3)

 曽野綾子 『絶望からの出発』 1981. 講談社文庫

(p14)
「罪なきものよ,石もてこの女をうて」
罪なき者などという存在はこの世にはあり得ない。

(p21)
損な立場に廻りたくない,
とする欲求ほど明確なものはない。
しかし,
損な道は何が何でも避けるということは,
すなわち功利的な人生を選ぶことであり,
功利的な人生というのは,
きわめて動物的生活に近い線に近づいていくことになる。

(p23)
どちらが高級でどちらが低級というものでもない。
生き方の目標は好みの問題である。
そのどちらでも構わないが,
この二つには明らかな志向方向の違いがある。
夕映えを見て喜ぶ心は,
要するに自分が楽しいと思うものがいいのである。
それに対して世間で通常よい
と言われる生き方を大した疑念も持たずに
受け容れるということは,
他人の望むことを評価の基準にすることである。

(p33)
親が子供にしてやれる大きな事業の一つは,
いつか別れることを上手にやってのけること。

(p35)
・しつけは家庭でしかできない。
・面倒でも子供に手伝わせる。
しつけは本来,
手間ひまかかるものである。
初めは親がやってしまう方がずっと時間的に早い,
ということが多い。
それをあえて面倒でも子供にやらせるというのは,
一種の保険をかけておくことと似ている。

(p46)
敬語の背景には,
他人に対する根源的な尊敬を込めた関心,
自分の能力に対する謙虚さ
といったものが必要とされる。
敬語が使えない人は
@高慢な人
A不勉強な人である。

(p47)
表裏もないような人間が当節は多すぎる。
子供が純真なのは当たり前だし,
そのような「純真さ」は
適当な形で早く脱皮してもらわねばならぬ。

(p52)
どんなに面倒くさくても
他人に不快を覚えさせない程度に
体を洗ったり,
衣服を着たり,
立ち居振る舞いについて
抑制したりしなければならない。

(p54)
人間は誰もが部分的に良く部分的に悪いだけである。

(p68)
人間は途方もなく多様である。

(p72)
学歴や地位から見ても
決して人を見る上で眼力がない訳はない,
と思われる人でも,
相手の財力,職業,家系などといったものに,
ころりと心理的にとりおさえられることがある。

(p76)
常識を採用することは
完全にその人を自由にし,
その人独特の二つとない人生を
創るということにはならない。

(p76)
群れから離れる勇気:
人間は他人と同等になること
(つまり平凡であること)と同時に,
他人とは違うこと(つまり,他人よりぬきんでていること)
を好むのである。
それゆえ私たちは
流行(他人と同じになること)をとりいれながら,
その中で
ひとより目立つデザインや色の服
を着ること(つまり他人と違うこと)を望むようになる。

(p80)
・自分が他人に正当に認められないことにも耐えること。
・人がそうだから自分もそうでなければならないと思うことをやめる。

(p81)
人間はそもそも正しく他人を理解することなど初めから出来ない。

(p84)
人間の存在が尊いのは違いの故にこそ,である。

(p85)
人並みになることを追求するということは,
個人の尊厳の放棄である。

(p86)
テレビ文化は受身文化である。

(p91)
親さえも信じてはいけない,
という態度を習慣づけておくと,
「先生が嘘を言った」
「社会は虚偽的だ」
などということにいちいち驚いていたり,
傷ついたり,
不信の念を抱いたりしなくなる。

(p91)
 こころを許さないのは:
私の中にもあなたの中にも,
彼らの中にもある人間共通の弱さを認め,
その弱さが犯す愚かしい行為を防ごう
とするそのためだけなのである。

(p102) 女子学生:
困るのは
自分の与えられた境遇に対する感謝のないおろかさである。

(p102)
親が偉いということは必ずしもないけれど,
子供は親をたて,
親を労り,
自分に自信があっても
親に感謝してみせる余裕をもち,
しかも内実は親のおろかさの中からさえ,
学ぶことを知らねばならない。

(p106)
そもそも
効用性を期待し得ない
芸術や学問のほとんどは,
信ずべからざるほど,
心身の労力と時間と金を使う。

(p109)
予測し難いことに耐えうる力をつけることが
教育の最終目標である。
人間の心をつよめる要素は
実にさまざまなものから成り立つ。
歴史は原則と非原則を教え,
語学は情報をより広い地域から収集することを可能にし,
文学は計算もなにもできない理不尽な形で人間を力づける。

(p111)
 「貧乏人はいつも正直者」
という御伽噺を信じてはいけない。

(p112)
世の中には,
無茶な人間や外的困難がつきまとうことが普通だから,
(どんなことを行なうにも)
それらの苦難な状況を排除しつづけて
なおそれを行うという気が大切なのである。

(p117)
初めから理想的な人間がいるわけがない。
適当に聞き逃しておけばよいことを
不当に拡大しがちだ。

(p120)
世の中はいいことと悪いことのまぜなのである。
単一に悪いことだけというものは全くないといってよい。

(p122)
私たちは決してお互いに過大期待しないことだ。
初めから冷静に事を分析し,
しっかりとあきらめることである。
相手に目があったり判断が正しかろうと思わない方がよい。

(p123)
自分のみにくさに暗澹とするときにだけ,
その道が微かに見えるものなのである。

(p126)
自分を守るのは自分の体力と知恵しかない。
もし自分が寒さに耐えられないと思ったら
敢然と家へ帰ってしまうなり,
よその教室へ入ってしまうなりして,
ヒステリ教師から身を守らねばならない。
最終的に自分の身を守るのは
自分の体力であり知恵である。
学校が守ってくれる
-----そんなことを当てにしていると
人間はいつまでたっても
自分を鍛えることができない。

(p130)
誰もがまちがうのだから,
自分もまた間違うに違いない
と思うのが勇気なのだ。

(p132)
全面的な拒否によって
残りのよい部分がみえなくなる。

(p136)
スポーツの最大の産物:
練習しても練習しても
才能に限度のあることを知り,
常に
自分の前に強者がいて,
自分に砂埃をかけていくのに
耐えて自分を見失わないこと。

(p138)
学校の入試におちる子供は,
多くの場合,
その現実に見合うほどの愚か者ではない。
逆に大学の入試に強い青年たちの中には,
学問以外の点で
不気味なほどひよわで欠けている,
という場合もあるのである。

(p140)
大切なのは,
不当な評価をうけて,
それに耐えられる精神力をつけることなのである。
また,
常に冷厳なる事実
―自分のマイナス点を確認することである。
あらゆる競争は
常にこの二つのものを与える:
不当な評価と冷厳なる事実。
そのパーセントは一定ではない。

(p140)
スポーツの記録のように
冷厳な事実が99%ということもある。
しかし
それでもなお,
1%はそうでない要素が混じる。
どの選手と組み合わされたか,
その時の風向き,
個人的な健康状態など,
選手たちが全く公平な条件で戦っているわけではない。

(p141)
 「そうだ,あいつはこのことに関しては
確かに僕よりできる」
と言える人を見ると美しいと思う。

(p156)
人間は禁じられるとほしくなる(へそまがり的気分)
・少しでもよいことをすすめ励ましつづける
・他人の美点がわかることは才能である。

(p164)
常に柔軟な緊張を保てる人に。

(p174)
人間の予測はいつもはずれる。
一生はたちまちのうちに食い尽くされてゆく。
人間は常に不当に死ぬ。
理想をゆめみていると長くもない現実の日々を失う。

(p184)
贈り物は
多くの場合とんちんかんになるだろう。
しかし贈られた側は,
その好意に感謝し,
多少趣味は違っても
できればおくられたものを
つかいこなしてみようとするのが本筋である。
たくさん贈られる人は
多くの場合,
権力か地位をもつ人だろうが,
そこに感謝がない時には,
乞食と同じなのである。

(p187)
 「得をしよう」などと思うことは
精神のまずしさである。
得をするというのは労せずして
得ようとする乞食の発想である。

(p188)
人間は人からもらう立場にいる限り,
決して満足することもなく,
幸福にもならない。
他人に与える立場になったとき初めて充ち足りる。


● あとがき Postscript

若い頃、
「YMCA−英語社交会」でお世話になりました
土屋碩三様からのお便りです:


 今日は、大雪の後よく晴れて、気持ちがすっきりします。
 『凡事徹底』と云う表題の小冊子をお送り頂き
 ありがとうございます。昨年より、サラリーマンを
 卒業し家業の和菓子の製造販売に転進し、日夜
 四苦八苦している今日、私にとり、時宜に適った参考書
 になりました。ありがとうございます。

 この機会に、我が家家伝の和菓子が、3月1日発売の4月号"家庭画報"
 に掲載される事になりましたので、ご参考に紹介させていただきます。
 明治の文豪"永井荷風"が、大正6年日本橋の白木屋で開かれた
 万国博覧会で食べた土屋天任堂(岡山県高梁市)のゆべしが
 事の外、気に入ったとの記録に基づき、家庭画報から取材の申し出を
 受けた次第です。
 4月号のP111〜P115に掲載される予定ですので、もし書店に出向かれる
 機会がありましたら、ご笑覧頂けると幸いです。

 お元気で。



(ご返事):

土屋碩三様


ご家業の和菓子を大切に護られてゆかれる、
とのお話、いいですね。
すてきなこれからの人生街道ですね。
「家庭画報4月号」
のほうもぜひ拝見させていただくように
いたします。
お元気におすこやかに
ご発展のほどを
こころからおいのり
もうしあげます。


坂井孝彦 拝
All the best,
SAKAI, Takahiko



● あとがきの2

アメリカのカルフォルニアに40数年にわたり
ご生活されてこられている畏友倉橋良仁兄さん
のご著書『英語は革命的手法で学べ』
(文芸社、2007)につきまして、前にも
ご紹介させていただきました。このたび、
下記のようなキャンペーンも展開されています
ので、ご紹介させていただきます:



出版社の文芸社は「新鋭作家の世界」フェア展を現在開催中です。
倉橋さんのご本もその展示に選ばれています。

1) 会場は全国20書店にて、期間は1月19日(土)〜2月15日(金)
2) 倉橋さん自身が出演の文芸社のTV commercialが
2008年2月3日(日)午後14:00〜 TV朝日系列24局ネット
で放送されました。
タイトル:「長男の結婚 花嫁はバツイチ!年上!子持ち!?」
内文芸社Commercial  
(出演 富司純子 中島知子 石垣佑麿 石橋蓮司)
3) 広告掲載日は
朝日新聞、毎日新聞:各1回 1月29日(火)〜2月3日(日)
(6日間の内の1日)

詳細=> click : http://blogs.yahoo.co.jp/kurahashi101/29631143.html
 
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倉橋さんの著書:
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4286027295/250-9867099-4908255?
SubscriptionId=1KRYNGAFRTS188K9Y7G2/ref=nosim

e-book 版:
http://www.boon-gate.com/   ( 12 学術・社会・教育 を選んで下さい)
倉橋さんの blog:
http://blogs.yahoo.co.jp/kurahashi101/
●写真:中白峰(3055m)から北岳・甲斐駒ケ岳を望む。
赤い屋根の山小屋は北岳山荘でここに宿泊された。(2006.10.17. 午後2:30撮影)

   ―大久保貴司様からです。


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