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● 詩歌の英語 English Expressions in Songs and Poems
1.
只管朗唱
英語の詩歌を「只管朗唱」してその内容が、文頭から読むが ままに、 聞くが ままに、歌うが
ままに、分かるような気がしはじめると、
歌にも英語にも一段と親しみが感じられてくる。
英語話者の心に宿る気持、発想がそのままとらえられるように なったような気がしてくる。心と心が通じ合ったような気持に なれたのかもしれないと思うからであろう。
でも、これは実に嬉しい気分である。日本語の訳詞から受けとる 感じとはまた異なる感慨が感じられるような気になるからである。
詩歌の頭から詞が流れるままに意味をとらえてゆけるようになるとはど
ういう感じのことであろうか。
一言でいえば、「共感」である。
気持をシェアできた、という感じである。
英語話者の「嬉しい」「悲しい」「楽しい」「寂しい」「つらい」「苦しい」
「悔しい」「怒りの気持」などの喜怒哀楽の気持をそのままに、
英語圏のうた心の中で、共感することができるようになる、という感じである。
英語圏の人々が感ずる心情、心意気、意識の流れ、こうしたものが
詩歌をうたう人・聞く人の心の奥底にダイレクトにせまってくるように
思えてくるという感じである。
英語の感覚がうっすらとでもわかってきたのかなあ、という感じである。
日本語になっている訳詞は、元の詞の部分訳であったり、 内容が変更されていたりする場合がある。元の詞と同じ意味 であると思っていたのに、オリジナルの詞を見ると、どうも違うな、
と感ずる場合がある。
原作の作詞者が言いたいほんとうの心情を包括的にあるいは
全体的にとらえていないことになっている詞の場合である。
陰の部分、苦渋に満ちた部分、厳しい現実を歌いこんだ部分が
カットされて、訳詞には直接的には表現されていない場合である。
物語や小説の場合には原著に忠実な訳の方を歓迎する人も、詩歌の
場合には元の詞の意味には割合に寛容であるように思われる。
詩歌の場合は、さらに、一番だけをうたっている人が多い。
詩歌の本当の心も実は一番の詞にではなくて二番、三番の 詞にかくれているようである。最後まで聞いてあるいはうたって
ゆきたいものである。
そうすることによって、私どもは英語話者(ネィティブスピ−カ−)の
心の琴線に触れて行けるようだ。
詩歌の頭から詞が流れるままにその意味をとらえてゆき、何番もある
その詩歌の最後までを共にしてゆくことによってはじめて英語話者の
心のふるさとに共感を覚えてゆけるようになるのではないのだろうか。
詩歌をうたいながら英語をものにしようとしてゆくとき、 意味もわからずにその詞をひたすら朗唱してゆくよりは、
意味をきちんと押さえてゆくほうがよい。
英語の詞と、日本語の意味を併記してみる。対訳がついていると
なんとなく、いわゆる格がおちたような気がして気がすすまない人もいる。
「虎の巻」的なものはいけない、と教えられたからである。
自分でまず辞書をたよりにして調べなさい、という指導をうけた人が多いからである。
言語を習得してゆく過程で、インターリニア式のテキストを利用してゆく方法は
悪いことではないようだ。
安達忠夫先生は、ご著書『素読のすすめ』(講談社)の中で次のような 素読のための例文をあげておられる。
安達先生が、示されている「インターリニア聖書」: 詩篇第23篇 PSALM 23 ダビテのうた A Psalm of David
主はわが牧者なり、 The Lord is my shepherd, われ乏(とも)しきことあらじ。 I
shall not want anything;
主はわれをみどりの野にふさせ、 he makes me to lie down
in green pastures.
いこいの汀(みぎわ)にともないたもう。 He leads me beside
the still waters;
武道も、バイオリンの練習も、そして「英語の道」も、 習い事は、これ、ひたすら、「休むな、急ぐな、繰返し、繰り返せ」
のようである。このことが、「平凡」を「非凡」にするようだ。
頭だけで考えるのではなくて、身体の中に内在化させてしまう、 ということがどうも大切なことであるらしい。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬と
す」(宮本武蔵)を 実践することになる。道元禅師の教え「只管打坐」も、 国弘正雄先生の「只管朗読」も私どもの生きて行く基底に、
身体の鍛錬をすえているように見える。
そして、詩歌によって英語の感覚をとらえる「只管朗唱」もまた、
同じように見える。
2.
Mary Had A Little Lamb (メリーさんの羊)
Mary had a little lamb,
メリーさんはかわいい羊を飼っていた Little lamb, little lamb, かわいい、かわいい羊だった Mary had a
little lamb, メリーさんはかわいい羊を飼ってい た Its fleece was white as
snow. 毛並みはまっ白で雪のよう
(And) Everywhere that Mary
went, メリーさんがでかけたところは Mary went, Mary went, メリーさんがでかけたところは (And)
Everywhere that Mary went, どこへでも その子羊は The lamb was sure to
go. 決まっていつもついていった
It followed her to school one day,
ある日学校までついてきた School one day, school one day, メリーさんについてやってきた It followed
her to school one day, ある日学校までついてきた Which was against the
rule. でもそれは規則違反だった
It made the children laugh and
play, こどもたちは大笑い Laugh and play, laugh and play, みんな笑って大はしゃぎ It made the
children laugh and play, 子供たちは大笑いの大はしゃ ぎ To see a lamb at
school. 学校で羊を見るなんて
And so the teacher turned it out, turned it
out, すると先生は羊を追い出した Turned it out, turned it out, 追い出した
追い出した And so the teacher turned it out, そう追い出したのだ But still it
lingered near. だけど羊はそのあたりでウロウロしていた
And waited patiently
about, 羊はぶらぶらしながらずっとがまんして待っていた Patiently about, patiently
about, がまんして がまんして And waited patiently
about 待っていた がまんして Till Mary did appear. そしたら
ついにメリーさんが出てきたの
Why does the lamb love Mary so? なぜ
羊はメリーさんがあんなに好きなの Mary so? Mary so? メリーさんをあんなに好きなの Why does
the lamb love Mary so? どうしてなの The eager children
cry; 子供たちは一心にさけぶようにたずねた
Why, Mary the lamb, you
know, なぜって、メリーさんは羊をね Lamb you know, lamb you know, 羊をね Why,
Mary loves the lamb, you know, かわいがるからよ、だからなのよ The teacher did
reply. これが先生の答えでした (和訳:坂井孝彦、 註:fleece =
羊毛)
*
高田三九三の訳詞:
メリーさんのひつじ メェメェひつじ メリーさんのひつじ まっしろね
どこでもついてく メェメェついてく どこでもついてく かわいわね
あるとき
がっこうへ がっこうへ がっこうへ あるとき
がっこうへ ついてきた
せいとがわらった アハハアハハ せいとがわらった それをみて
せんせいはかんかんに おこっておこって せんせいはおこって おいだした
メリーさんはこまって こまってこまって メリーさんはしくしく なきだした なきだした
*
1830年9月号のThe Juvenile Miscellany誌に発表された童謡。
ボストン在住のMrs. Sarah J. Hale(1788-1879)作。エジソンが
はじめて蓄音機に吹き込んだ歌がこの歌であったといわれている。
「どうしてあの羊はあんなにメリーさんが好きなのか?」と子供たち が聞くと、先生が「それはメリーさんがとてもかわいがるからですよ」
と答えるところが、この歌のポイントになっている。
ところがこの一番大切な部分が日本で歌われてきた歌詞には欠落
してしまっている。
多く場合、詞心の肝心な部分は、初めの方、たとえば詞の一番や二
番にあるのではなくて、後の方に表現されていることが多い。
とりわけ、詞がなん番にもわたるときは、その終りのほうに原作者の
訴求ポイントが出現する。後方に焦点が置かれているのに、日本では、
初めのほうの訳詞(歌詞)だけがうたわれることが多い。
あるいは最後までうたわれても後の方は日本語に訳されていない場合
には、原作者がその詞に込めた想いが日本ではうたわれることのないままに
終ってしまう。
かくて、詞に込められた真意は伝えられることなく終ってしまうのは残念な
ことである。
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● 金子みすゞさん の詩情と英訳 (英文校閲: Frances
Ford)
110.光のかご
わたしはいまね、小鳥なの。
夏の木のかげ、光のかごに、 みえないだれかにかわれてて、 知っているだけうたうたう、 わたしはかわいい小鳥なの。
光のかごはやぶれるの、 ぱっとはねさえひろげたら。
だけどわたしは、おとなしく、 かごにかわれてうたってる、 心やさしい小鳥なの。
(添削) The
Sunbeam-made Cage
I'm now a bird.
In the shade under the tree
in summer I'm tended by the invisible to sing all the songs I know; I'm
now a sweet little bird.
I know that the sunbeam-made cage (must) [⇒can]
be broken only if I suddenly spread my wings.
However, I'm gentle
enough to sing songs in the cage; I'm tender-hearted
bird.
(できあがり) The Sunbeam-made Cage
I'm now a
bird.
In the shade under the tree in summer I'm tended by the
invisible to sing all the songs I know; I'm now a sweet little
bird.
I know that the sunbeam-made cage can be broken only if I
suddenly spread my wings.
However, I'm gentle enough to sing songs in
the cage; I'm tender-hearted
bird.
111.王子山
公園になるので植えられた さくらはみんなかれたけど、
きられた雑木の切りかぶにゃ、 みんな芽が出た、芽がのびた。
木の間に光る銀の海、 わたしの町はそのなかに、 龍宮みたいにうかんでる。
銀のかわらと石がきと、 ゆめのようにも、かすんでる。
王子山から町見れば、 わたしは町がすきになる。
ほしかのにおいもここへは来ない、 わかい芽立ちの香がするばかり。
(添削) Ojiyama
Hill
The place here was to be developed into a park; All of the
cherry-trees planted here were blighted; All of the stumps of miscellaneous
trees cut down before have now come into bud and the buds are
sprouting.
Through the trees I see our town afloat over the
(silver-shined) [⇒silver-shone] sea like the Sea God's Palace.
I see
both tile (rooves) [⇒roofs] and stone walls in silver dim in the distance as
if I saw them in [a挿入] dream.
The fine view of our town from the summit
of Ojiyama hill makes me like it all the more. Here (on) [⇒at] the top the
air is laden with the scent of the sprouts; No nasty smell of dried
(squids) [squid]reaches here. (( squid, like fish, is the plural
form))
(できあがり) Ojiyama Hill
The place here was to
be developed into a park; All of the cherry-trees planted here were
blighted; All of the stumps of miscellaneous trees cut down before have
now come into bud and the buds are sprouting.
Through the trees I see our
town afloat over the silver-shone sea like the Sea God's Palace.
I
see both tile roofs and stone walls in silver dim in the distance as if I saw
them in a dream.
The fine view of our town from the summit of Ojiyama
hill makes me like it all the more. Here at the top the air is laden with
the scent of the sprouts; No nasty smell of dried squid reaches here.
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● あとがき Postscript
上海で社長業をお勤めになっておられる目黒暁夢大兄様からのおたよりです。
上海の出会い−13 親孝行との出会い
− 事務所の中で魚が跳ねた −
逆境にある人は、いくら努力をしても簡単にそこから抜け出せないようである。
一つの山を乗り越えてもまた次の難関が待っている。
貧乏神に取り付かれるというが、貧乏神は金持ちよりも困っている人に愛着を
持ち次々と難題を吹っかけてくる。負の連鎖はなかなか断ち切れない。
上海の西隣に安徽省がある。安徽省の名物は風光明媚な“黄山”と“貧乏”だけ
だとのことである。
そもそも景色の良いところにおカネが転がっている分けはない。
安徽省出身の従業員、劉小姐は真面目で陰日なたなく良く働くので会社は他の
従業員とのバランスを取りながら出来る限り配慮をしている。
ところがつぎつぎに、彼女を悩ませる個人的な不都合が降りかかる。
最初のトラブルは正式社員としての採用通知を出したあとに起った。
各種法定福利(健康保険、失業保険、年金、住宅積立金)の手続きをする段になって
上海市の規定でよそ者(外地人)にはこれを掛けられないことが判明した。
法定福利は通称4金と言うが会社負担の補助金は基本給の44%と大金である。
本人にこのことを告げると、社会保障は無くとも結構ですとのんびりしたことを云う。
4金を付けてやるべく弁護士と相談したが駄目であった。
4金の代りに“外地人”救済用“外来人総合保険”なるもので代用出来ることになった。
しかし4金とは比べものにならぬような低額補償である。
次のトラブルは入社半年後に降りかかって来た。
先生、勝手なお願いをして申し訳ありませんが、故郷の安徽省まで帰らなければならない
のですが、バス代がないので給料の前借りをさせて貰えるでしょうか。
里帰りの理由を聞いたら、公園のベンチでのんびりしている間に、身分証明書入りの財布が
盗まれました。
再発行の為に出生届をした村まで帰らなければなりません。
それに私は「档案」がいつの間にか行方不明になり再発行して貰わねばなりません。
档案とは、閻魔帳を兼ねた戸籍抄本のようなもので、本人が会社、団体(単位という)に
属した時はそれを持参して、自分の属する「単位」に渡すことになっている。
彼女は大学入学の時「単位」である大学に渡したはずだが、その存在場所が分らなくなっ
たとのことである。
「档案」とは命の次に大事なもので原則として再発行はしてもらえない。
そもそも「档案」が行方不明になるとはなんともドジである。
会社の無責任な男性従業員が言うには身分証明書と档案を無くしたとなれば今後、彼女は
就職は無論のこと海外渡航も出来ないし、婚姻届も出せないから一生結婚は出来ないですなァ、
などと呟いている。
中国の戸籍に関する複雑な仕組みは分らぬが、いつの間にか身分証明書も档案も再発行
されたようである。
革命記念日の国慶節は6連休のゴールデン・ウィークになる。
従業員の小姐達はこの期間の遊びの計画を賑やかに話し合っている。
浮かれたバカ話に加わらず寂しそうにしている劉小姐にあなたの連休の計画はと聞いた。
祖母は以前より健康がすぐれなかったが、医者に掛かれず安徽省の自宅に臥していたが、
最近かなり容態が悪くなったので、上海に来て工場の守衛をしている父親が連休の間、
祖母の看病に安徽省に帰る。
連休の間も工場の守衛は抜けることが許されず休むとクビになるので、この間私が替わって
工場の守衛をするのです。
師範大学を出た若い女性が無事守衛の職務が務まるか心配だが、中国女性は街で見ている
と、大声で男どもを怒鳴りつけるほどの凄みがあるので、何とか父親の代行は務まるだろうと思った。
数ヵ月後、お祖母さんの葬儀に行くと彼女は忌引を取った。
何故、彼女ばかりにいろんな事が起こるのだろう。
母親も上海に職を見つけ縫製工場で、お針子をしているが病気になった。
卵巣癌だとのことで手術をせねばならない。
中国では手術をする時は保証金を積まねば医療を施してもらえない。
彼女によると卵巣の摘出は比較的簡単なので保証金は5000元で済むのだとのこと。
そんな大金はあるのかと聞いたら、自分の貯金が丁度5000元貯まっているので大丈夫です
と胸を張って答えた。
でも保証金が払えない人はどうするのと云ったら、安徽省では保証金が払えず死ぬ人は珍
しいことではありません。
私はこの会社に雇ってもらって恵まれています。
母親は二週間で退院し、工場の工員寮に戻り職場復帰をしたそうだ。
ある日執務時間中にゴソゴソと奇妙な音が事務所の片隅から聞こえて来た。
従業員が騒然として音の発生源を探し当てた。
ビニール袋に水を張り30センチほどの魚が跳ねている。
今まで黙っていた劉小姐が自分が犯人であることを恥ずかしそうに白状した。
出社の途中青空市場で桂魚を一斤5元の安値で売っていたので、退院後食欲のない母親に
桂魚のスープを作って上げようと衝動買いをして来たとのこと。
その夜、劉小姐は母親の寮に立ち寄りスープを作ったそうだ。
その後彼女がいうには、この桂魚を食してからお母さんは急に元気になったとのことである。
上海では桂魚は黄魚と並んで高級魚なので庶民はめったに買わない。
天は恵まれぬ人に試練ばかり与えることはしない。
たまには嬉しいことも与えてくれる。
2月14日、中国では「情人節」と言って男が女性に花束を贈るのが流行っている。
この日、始業早々事務所で女性従業員達が黄色い大声をあげた。
赤いバラの花を30本ほどアレンジした花束が届いたのである。
いくら好きな女友達に贈るにしても若者の経済力からして分不相応な豪華さである。
配達人が劉小姐と呼んだ。
この日花束が届いたのは劉小姐のみであった。
女性の一人がヤジを飛ばした。「一体その花束は、一人がくれたの、二人でくれたの?」
− 完 −
2007年2月 目黒暁三
● あとがきの2
***************************** 幸福ニュース(しあわせニュース) 第381号 2007年3月29日 <『心』の分野で一番古いメルマガと『まぐまぐ』が認定!!>
http://www.uproad.ne.jp/rengein/ *****************************
から引用させていただきます:
外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。
貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさと高ぶりとは、四つの毒矢にもたとえられる
様々な病や争いや問題を起こすものである。(本事経)
※ この幸福ニュースは蓮華院誕生寺の大山真弘和尚さまが主宰されておられます。
● あとがきの3
「ちばデスティネーションキャンペーン」連動企画展「一茶とかえる」に行ってまいりました。 (3−29−2007)
小島照夫館長さんにはお心を込められたお世話になりました。ありがとうございます。
▼主 催
グリーンダイナミクス 後 援 流山市 流山市教育委員会(流山市立博物館)
流山市観光協会 流山市商工会 協 力
一茶菩提寺 明専寺 信濃町観光協会 道の駅しなの
ふるさと天望館 資料提供 国際俳句交流協会 ▼実施趣旨
長野県上水内郡信濃町の一茶菩提寺・明専寺の月原香代子氏は、一茶が詠んだ 300近い句の中から16句を選び、長野市で喫茶店を経営する河端寛子氏に依頼して、 句に詠まれた物語を再現する手作りの「一茶とかえる」16点を創作、 平成18年10月、「第4回一茶の俳句コンサート」の特別展示として 明専寺にて初公開しました。
これが海を渡り、平成18年11月、フランスのパリで開催された
フランス俳句協会主催の「一茶の夕べ」でも公開され、評判を呼びました。
小林一茶没後180周年を迎える今年、180匹の蛙の手作り人形を一茶双樹記念 館で展示し、特に子どもたちにも向けて、一茶や俳句に対する興味・関心を喚起する ほか、一茶ゆかりの信濃町、さらに国際的な俳句文化の広がりなどについても紹介 されました。
▼開催期間
平成19年3月1日〜31日 ▼会 場 一茶双樹記念館(館長 小島 照夫氏)
▼展 示 物
小林一茶が詠んだ「かえる」の句を表現した180匹の蛙の手作り人形 舞台は16句 ▼翻 訳
坂井孝彦(英訳) マブソン青眼(仏訳)
「一茶とかえる」展の一茶16句とその英訳
1.
産みさうな腹をかゝいて鳴蛙 2. 向合ってなにやら弁をふる蛙 3. いぼ釣てあちら向たる蛙哉 4.
そこらでも江戸が見ゆるか鳴蛙 5. どっさりと居り込だる蛙哉 6. 云ぶんのあるつらつきや引がえる 7.
御地蔵の手に居へ給ふ蛙かな 8. 亀どのに負ぶさって鳴蛙哉 9. 車坐に居直りて鳴く蛙哉 10. 痩蛙まけるな一茶是に有 11.
大蛙から順々に坐とりけり 12. ちる花を口明て待かはづ哉 13. 蕗の葉に片足かけて鳴蛙 14. 夕不二に尻を並べてなく蛙 15.
むき々に蛙のいとこはとこ哉 16. 草の葉にかくれんぼする蛙哉
1. 産みさうな腹をかゝいて鳴蛙
The
frog with that belly, Prepared for giving birth, Croaking
2.
向合ってなにやら弁をふる蛙
Facing each other, The frogs are talking
eloquently On this or that
3. いぼ釣てあちら向たる蛙哉
The frog,
turning his back on me, Determined not to change his behavior Out of sheer
obstinacy
4. そこらでも江戸が見ゆるか鳴蛙
You’re enjoying the view of
Edo From around there too, don’t you, Croaking frog?
[Edo=today’s Tokyo]
5. どっさりと居り込だる蛙哉
With a great
thump The frog sits down When the dull sound is heard.
6.
云ぶんのあるつらつきや引がえる
The toad looking As if having something that He
wants to say in his defense
7. 御地蔵の手に居へ給ふ蛙かな
With an air of
great importance The frog squatting In Saint Jizo’s hand
8.
亀どのに負ぶさって鳴蛙哉
Getting a free ride On Mr. Turtle, The frog
croaking
9. 車坐に居直りて鳴く蛙哉
Sitting upright In a ring The
frogs are croaking
10. 痩蛙まけるな一茶是に有
Scrawny frog, Don’t
give in, Issa is here!
11. 大蛙から順々に坐とりけり
After the
biggest frog takes his seat at first, They sit down on their heels One by
one in the order from big to small
12, ちる花を口明て待かはづ哉
With its
mouth open, The frog is ready For the scattering blossoms.
13.
蕗(ふき)の葉に片足かけて鳴蛙
With one of his heels On butterbur leaves, The frog
is croaking
14. 夕不二に尻を並べてなく蛙
The frogs in line, Directing
their butts Toward evening’s Mt Fuji
15. むき々に蛙のいとこはとこ哉
The
frogs are all cousins or second-cousins Even though they face Everywhich
way they want to
16. 草の葉にかくれんぼする蛙哉 The frogs playing
hide-and-seek; Lie hidden In the shade of grass
blades.
※ 3.の「いぼ釣て」の意味がなかなかわからなかったですが、 ネットでいろいろと検索してみましたら、 越後、そして信州でも多分、使われている いいまわしであることがわかりました。
参考文献 1.http://haikuguy.com/issa (1-15-2007) 2.
R. H. Blyth. HAIKU. The Hokuseido Press, Tokyo. 1982.
いぼ釣てあちら
(
参 考
) ★一茶双樹記念館について
俳人小林一茶は、味醂醸造家であった秋元双樹(三左衛門)との交流のため、たびたび流山 市を訪れました。その交流を記念して、平成7年、一茶双樹記念館が開設され、当時の秋元家 や双樹亭、一茶庵、庭園が再現されています。
「秋元本家」は、幕末ごろの下総地方の商家建築を再現した、寄棟造り瓦葺きの2階建ての 建物で、一茶や双樹についての資料や、流山にゆかりの深い産品である「みりん」に関連した 資料を展示しています。
「双樹亭」は、安政4年ごろに建てられた秋元家の書院を解体復元した、数奇屋風造りの建 物で、「おくのま」「なかのま」「おちゃのま」と東南西にまわる縁側からなります。
「一茶庵」は、寄棟造り瓦葺きの建物で、床の間と平書院を持ち、切り炉のある八畳の和室、水 屋を持つ四畳の和室、広々とした縁側からなります。茶会はもちろん、俳句会・短歌会などにも利 用されています。
★「一茶双樹記念館」のご案内 所在地
〒270-0164千葉県流山市流山6丁目670-1
★「一茶双樹記念館」パンフレット内の 一茶に関する英文説明: Issa
Kobayashi (1763-1827), a Haiku poet, spent most of his life traveling. He
frequently visited the Shimofusa region (Kanto-plain) including
Nagareyama.
His closest friend in Nagareyama was Sanzaemon Akimoto
(the 5th master of Akimoto family), who was told one of the first MIRIN
(sweet sake for cooking) makers and he also ran a Japanese sake brewery.
Writing under the name of "Soju", Sanzaemon made Haiku poems and gave
economic aid to
Issa.
●あとがきの4: 杜牧の「清明」
○(Dr.)岩垂 司大兄様(札幌)からです:
>
Shonan Newsletter No.388の添付ファイルで取り上げられて >
いる杜牧は私の最も好きな詩人です。何とも言えない暖かさと > 風流心を好ましく思っています。 > >
漢詩の読み方について、松浦友久「漢詩−美の在りか−」 > 岩波新書(2002)に、漢詩を漢音(一音の場合はのばす)で読み >
下すと唐の時代の読み方に近く、現在でも「何処かの方言です > か?」と言われるとあります。これは唐の時代に長安に派遣さ >
れた人達が当時の発音を正確に日本語の読みに移したからで、 > 千年後の我々がその恩恵を蒙っている訳で、先人の努力に大 >
いに感謝しています。 > > そのやり方で「清明」を読むと; > >
セイメイ ジーセツ ウー フンフン > ロージョウ コージン ホツ ダンコン >
シャクモン シューカー カーショー ユー > ボクドウ ヨーシー キョーカーソン > >
となります。 > > 現代の読み方と似ているところもあるし、似ていないところもあ >
ります。これは中国語の発音が時代と共に変わったからでしょう。 > そして唐代の発音が日本語の中に保存されているのは面白いこ >
とですね。これも文化の「ドーナッツ化現象」の一つなのでしょうか? > >
岩垂 司
○杜牧の「清明」をご恵贈くださった佐藤良明さんからです:
杜牧の詩は 目に見えるようで 大好きです。 俳句で言えば 蕪村と通じるものが あるのでしょうか。 この詩は 児童が 現代中国語で うっとりする美しい四声で リズミカルに朗読しているのを聴いたものです。
セイメイ ジーセツ ウー フンフン >> ロージョウ コージン ホツ ダンコン >>
シャクモン シューカー カーショー ユー >>
ボクドウ ヨーシー キョーカーソン
上記のような 杜牧の時代の唐音を 移したものではありませんが 呉音、漢音が そのまま 国際的に活きていたら 現代史も もう少し 意思疎通が楽だったかもしれません。 今 合唱で 外国人の指揮者の指導を受けますと 日本人の「H」「K」の子音の発音が 弱いことを 毎度指摘されます。合唱の世界では 今 日本人の発音は フランス語のように「HA」が「A」に聞こえるようです。 「恋」が「老い」になるのですから たまりません。 漢詩の読み方が変わるのは 歴史的事実ですが、 「言葉」は 「記録」されることで 変化に歯止めがかかります。 漢字は 語尾変化も少なく 古代から現代まで そのままの姿で 伝わるので 考古言語であり、 漢字圏では 国を超えて 伝わるので 国際言語でもあります。 今後とも 仲良くしたいと 思います。
○ 岩垂司大兄様から:
杜牧を好む人は多いようですね。その文才が卓越しているのは 勿論ですが、彼の生き方が作品に反映している事もありましょう。
一族は大学者である祖父の杜祐はじめ高官を輩出し、彼自身 も太和二年の進士(科挙合格者)でありながら、中央での栄達を 求めず、地方官を歴任して風流を楽しんだ(扶養家族が多かった ので実入りの良い地方官を望んだという事情もあるようです)こ とが作風に現れているように思います。陳舜臣「中国畸人伝」 新潮文庫(1987)にその風流ぶりが述べられています。
そんなことで、これからもボトボチと楽しんで行きたいと思って います。
※ 英訳してみました。こんな感じになるでしょうか:
It
rains ceaselessly around at the time of Seimei, around April 5 in the solar
calendar. There was a traveler on the country road grieving deep in his
heart. He inquired of a passerby where he could find a local pub for a
drink. The herdboy pointed a village of apricots in full blossom far
away.
● あとがきの5
植田総子大姉さま(YCEC)から
1.もくれん と こぶし について: >
もくれん(木蓮)とこぶし(辛夷);モクレン科・・・辛夷は漢名でモクレンの称 >
白木蓮は花弁とがくびらで9枚・・・こぶしは花びら6枚 > 広辞苑より
>>
>(Dr. Prof.) 藤枝和夫先生からです: >> >
白モクレンの写真がキレイに電送されました。拙宅のは紫色のモクレンですが、 >>> この蕾が鳥 >> >
の好物らしく、開花までに半数は食べられてしまいます。日常の英語では、モク > >>
レンもコブシも区別しているのでし >> > ょうか。
>>
(坂井からの生半可のご返事): >> うらの白モクレン、今朝はほんとうにきれい。真っ白にこんもりと。 >>
巨大な雪だるまにしてしかも優美優雅にかぜにゆられています。 >>
モクレン、コブシは英語圏でも生息しているのでしょうか。 >>
こんな感じの花はあんがいどの樹木もmagnolia一つでくくってしまわれているのか >>
もしれませんけど。
※すてきな情報、いつもいつも ありがとうございます しらないこと、しりたいこと、 いっぱいあって、 無知蒙昧を感じます。 ありがとうございます。
モクレン科:the
magnolia family もくれん=しもくれん:モクレン科の落葉低木〜 小高木、中国原産の庭園樹 Magnolia
Quinquepeta; Magnolia liliflora こぶし=モクレン科の落葉高木、 a kobus
magonolia. Magnolia kobus (以上、研究社大和英5版)
2.南京街 のこと >
横浜中華街のこと・・・横浜生まれのわたくしは >
子供のころは「南京街」と呼んでおりました。
※すてきな情報、いつもいつも ありがとうございます しらないこと、しりたいこと、 いっぱいあって、 無知蒙昧を感じます。 ありがとうございます。
さかいたかひこ 拝
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