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@Christy

NO.439
平成20年5月 5日
May 5,2008

● 清水英雄先生のメッセージ

母の香り


きれいに整理された
箪笥から
母の形見の
着物を虫干し

母がとても好んで
愛した大島から
ほのかに漂う
伽羅のかおり

季節は秋
母が大好きだった秋
金木犀が
甘くせつない香りを
まわりいっぱいに
放っている

風にパラパラ
落ちてゆく
小さな可愛いい黄色の花に
母のおもいを
たくしている


Mother's Scent

From the chest of drawers,
beautifully put in order,
Mother's kimono, one of her keepsakes,
has been taken out for airing.

Mother immensely loved the kimono
made of Oshima-pongee.
Its faint smell floats in the air
like the scent that drifts in a Buddhist temple.

Now it is fall, which Mother liked best.
A fragrant olive sheds all around here and there,
a sweet and heart-rending scent.

Flakes of the flowers, little and yellow,
flutter down on wing.
This is where I give my reminiscences of Mother.

   (English translation: Takahiko Sakai)
   (English consultation: Frances Ford)


● 日本人の心の歌(その10)

・雨ふり (1925)   北原白秋作詞・中山晋平作曲

  英訳1:Greg Irwin
  Happy Am I [Ame furi]
       (Lyrics by Hakushu Kitahara   Music by Shimpei Nakayama)

    英訳2:中川一郎
    /Rainfall
      (Hakushu Kitahara / Shimpei Nakayama)


1.雨 雨 ふれふれ 母さんが
Rain is falling, Mom is calling, Look at the sky!
      /Rain, rain, come on, I’m happy here,

  蛇の目で おむかえ うれしいな
She will bring her umbrella to keep me dry,
      /Mommy’s on her way, she’s coming near,

  ぴっち ぴっち ちゃぷ ちゃぷ
  らん らん らん
Splishy, splishy, splashy, splashy,
Happy am I.
      /Pitchi-pitchi, chap-chap, rung-rung-rung.


2.かけましょ かばんを 母さんの
後から ゆこゆこ(=行こう、行こう)鐘がなる
On my back, my brand new pack will stay so dry!
Mother’s come to walk me home so happy am I,
      /With a bag on my shoulder I’ll follow you,
      /Cute is your umbrella, bells chime through,

  ぴっち ぴっち ちゃぷ ちゃぷ
  らん らん らん
Splishy, splishy, splashy, splashy,
Happy am I.
      /Pitchi-pitchi, chap-chap, rung-rung-rung.


------------------------------------------------

3.あらあら あの子は ずぶぬれだ
  柳の 根方(ねかた)で 泣いている
  ぴっち ぴっち ちゃぷ ちゃぷ
  らん らん らん
Look and see beneath the tree that we pass by,
A little boy who’s soaking wet and starting to cry,
Splishy, splishy, splashy, splashy,
Soon he will cry.


4.母さん ぼくのを かしましょか
  君 君 この傘 さしたまえ
  ぴっち ぴっち ちゃぷ ちゃぷ
  らん らん らん
Mother, Mother, Look at him and hear him sigh!
Can he get under our umbrella? We’re so dry!
Splishy, splishy, splashy, splashy,
Happy am I.


5.ぼくなら いいんだ 母さんの
  大きな 蛇の目に はいってく
  ぴっち ぴっち ちゃぷ ちゃぷ
  らん らん らん
Oh you bet! He looks so wet with tears in his eyes.
Underneath our big umbrella, We’ll be just fine,
Splishy, splishy, splashy, splashy,
Happy am I.

            (英訳:Greg Irwin  /中川一郎)


(考察)
・  蛇の目で おむかえ うれしいな
She will bring her umbrella to keep me dry,
      /Mommy’s on her way, she’s coming near,

英語の微細にわたる表現論理を
ここのGreg Irwin訳にもみることができる。
「蛇の目」についてはその説明を放棄している。


・ ぴっち ぴっち ちゃぷ ちゃぷ らん らん らん
Splishy, splishy, splashy, splashy,
Happy am I.
      /Pitchi-pitchi, chap-chap, rung-rung-rung.

こういう擬音語(や擬態語)のところの英訳は、
英語母語者の独擅場。


・ かけましょ かばんを 母さんの
後から ゆこゆこ(=行こう、行こう)鐘がなる
On my back, my brand new pack will stay so dry!
Mother’s come to walk me home so happy am I,
      /With a bag on my shoulder I’ll follow you,
      /Cute is your umbrella, bells chime through,

「かばん を背中にしょって、
母さんのもってきてくれた傘をさして、
母さんのあとについて歩いてゆこう」
という原詞の内容を省除して、
「母さんが来てくれて
これから自分につきそって
家のほうにむかってくれるのだ」
という趣旨の英訳にしている。

・ 母さん ぼくのを かしましょか 君 君 この傘 さしたまえ
  Mother, Mother, Look at him and hear him sigh!
  Can he get under our umbrella? We’re so dry!

Greg Irwin訳:
「母さんと僕が相合傘をしている
その中にさらにずぶぬれの子に入ってもらおう」
という英訳になっている。
原詞からかなりずれた解釈になっているように見える。

・ ぼくなら いいんだ 母さんの 大きな 蛇の目に はいってく
  Oh you bet! He looks so wet with tears in his eyes.
  Underneath our big umbrella, We’ll be just fine,

Greg Irwin訳:
「母さんがぼくに持ってきてくれた
僕用の傘を君に貸しますよ、
僕は母さんの大きな傘に入って行きますよ」
という原詞の意図が、
英文の方では三人とも
「ひとつの大きな傘」に入って歩いていく
といった感じの英文になっていて、
意味内容のずれが生じている。


● 道元禅師からのメッセージ(その10)
   (大本山 永平寺 吉祥閣にて)

・青山緑水(せいざんりょくすい)

大自然のめぐみ

米も野菜もいのちです
肉も魚もいのちです
これらのいのちのおかげで
私たちのいのちも生かされています
「いただきます」「ごちそうさま」
尊いいのちに感謝して食事をいただきましょう



大自然のめぐみ
Mother Nature’s Bounty

米も野菜もいのちです
  Rice and vegetable have lives,
肉も魚もいのちです
  Meat animals and fish have lives,
これらのいのちのおかげで
  It is thanks to those lives
私たちのいのちも生かされています
  That we are able to live.
「いただきます」「ごちそうさま」
 尊いいのちに感謝して食事をいただきましょう
  Let us receive food with gratitude for those precious lives
 Always saying, “I thankfully accept this gift of nourishment,”
  And “Thank you for this wonderful food.”



Mother Nature’s Bounty

  Rice and vegetable have lives,
  Meat animals and fish have lives,
  It is thanks to those lives
  That we are able to live.
  Let us receive food with gratitude for those precious lives
Always saying, “I thankfully accept this gift of nourishment,”
  And “Thank you for this wonderful food.”


● 最澄に学ぶ (致知 2001-11. pp7-14.)

        対談:栗田勇(作家)vs 百瀬明治(作家)

・禅宗も浄土宗も浄土真宗も日蓮宗も、
すべて宗教は比叡山から出てきている。

・「自分は 頭は剃っているけど
俗人でどうしようもない人間だ」

・「ひとりでは悟らない。
この世界のみんなと一緒に悟りにまで昇って、
その喜びを共に分かち合おうではないか」
  (← 最澄の考え方の特色)

・有名な「国宝論」―
『山家学生式(さんげがくしょうしき)』
に出てきます:

「国宝とは何物ぞ。
宝とは道心なり。
道心あるの人を名づけて国宝となす。
故に古人言く(いわく)、
径寸(けいすん)十枚、
これ国宝に非ず。
一隅を照らす、
これ即ち国宝なり」

・「一隅を照らす」の原文は
「照干一隅
(一隅を照らす
→世の中の一部分にでも光を与えていくのが国宝だ)

「照千一隅
(国を守る力が千里四方に届いて
誰も侵すものがないから国宝と言えるのだ)」
との二説がある。
しかし、
自己の内面をみつめ、
己を徹底して放棄する、
そうした道を求める心を
最も重んじて、
それを国宝といったのであり、
「道心」は「志」と言い換えてよい、
と考えてゆくと、
どちらでも構わない。

・『山家学生式(さんげがくしょうしき)』
には次の言葉もある:
「悪事を己に与へ、
好事を他に与へ、
己を忘れて
他を利するは
慈悲の極みなり(忘己利他)」

「悪いことは自分自身に迎え、
良いことは他人に与える。
これは仏道の最も本質的なことである」
1981年の宗教サミットで、
ヨハネ・パウロU世が
この言葉を引用して、
キリスト教も天台も同じで、
最澄という人は最大の教育者であった、
とおっしゃった。

・教育者は
いずれ弟子にのりこえられてゆく。
最澄には教育者としての側面があった。
最澄には(空海と違って)
自分は乗り越えられてもいい、と。
弟子達をちゃんと教化してゆこう
という細やかな気配り。
自分のやり残したことを
弟子達に話して
真実の仏法を実現して欲しいという 
寛やか(ゆるやか)な心。

・「道心のなかに衣食あり、
衣食のなかに道心なし」
→道を求めていけば、
おのずから生活を送ってゆける。
ところが、
生活の安逸を求めても道心はない。

・「我がために仏をつくるなかれ。
我がために経を写すなかれ。
我が志を述べよ」
→志に生きて、
志を貫きなさい。


● あとがき Postscript

和田勝明先生(常磐会学園大学 教授)から
いただきました玉稿をご紹介させていただきたく
お願いいたします:


月光族

大方の読者はこのことばが
何を意味するかお分かりにならないであろう。
「その月の収入を残らずその月の内に
使ってしまう人(ほとんど若者たち)」
を指すのだそうである。
「月」は一月、二月の「月」で問題ないが、
「光り」は「消える」という意味が中国語ではある
のでこういう意味になるというわけである。
漢字というものは、日本語でもそれぞれの意味があるから、
わかるようでわからない、
または完全に誤解してしまうことがよくある。

「請勿停車」「小心地滑」は、前者は「駐車禁止」
であることはすぐにわかるけれど、
後者は「滑るので注意」であることはわからないであろう。
言われてみればなるほどと思えるが、
見た瞬間は「小心」の日本語の意味が邪魔をするのである。
異言語の解釈とはまことに難しいということで、
湘南通信を発行されている
坂井孝彦先生が紹介されているものであるが、
手練の翻訳家でもミスをすることがあるということである。
「あした浜辺をさまよえば…」という名曲の歌詞の翻訳で、
ある手練が「あした=tomorrow」としていることを
紹介されているのを読み、宣なるかなと思った。

最近、同僚に紹介されたものだが、
レッド・ツエッペリンのギタリストのジミー・ペイジが来日したとき、
女優の沢尻エリカが彼の曲のライブ盤のプロモーションに来たので、
報道陣に「彼女を知っているか」と尋ねられ、
"Unfortunately, I don’t know her."とコメントしたのを、
通訳は「別に…」と訳してみせたという。
これなら沢尻エリカも傷つかなかったと思う。
ことばの表面上の置き換えだけではプロの翻訳家、
通訳にはなれないということである。
このことで、昔、高名な通訳が、
米大統領を迎えての宮中晩餐会で、
彼のスピーチの冒頭でのジョークを、
「みなさん、大統領は今冗談をおっしやいましたのでお笑いください」
と通訳し、大統領はジョークが受けたと思って
上機嫌でスピーチをしたという話を思い出した。
ジョークは文化が違えば言葉面では
正しい置き換えをしても不充分である。
通訳した内容が拙いために聞き手が反応しなければ、
話しては意気消沈ということになり、
国賓のレベルの話であれば外交にも影響してくることもあり得る。
いかに異言語を自言語に置き換えることが、その逆も同様に、
難しいかが実感できる話である。
狩野永徳が言ったという有名なことばに、
「心込め、魂傾けて描けば、墨絵の筈の梅の木の梅に色が見える」
があるけれど、プロとしての翻訳・通訳も心を込め、魂傾けるほどの
ものであるなとつくづく思うこの頃である。

このプロということで、
筆者がとても嬉しくなった話を最後に書いておきたい。
ある女子学生が紳士服などを扱う会社に就職したのであるが、
後輩に、社会に出てからの体験談をしてもらったときのことである。
「靴を商品台に並べておいてください」と店長に言われたなら、
ただ並べるだけでも給料はもらえるが、
そのときに「この靴はどこの生産品で、仕入れ値はいくらで…」
というようなことをちょっと調べるといったことを1年続けると、
扱う商品の知識上で、言われたことだけをしている人と
大きな差がつく。この心がけがプロにつながると
彼女は話してくれた。卒論を書いているときに、
そういう心がけをもてばもっとよかったのにと思ったが、
これは心の中でつぶやいただけである。(和田勝明)

● 写真:

「山高 神代桜」(須玉ICから牧原方面へ)樹齢2000年
      ―大久保貴司様からお贈りいただきました。


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