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NO.441
平成20年5月21日
May 21,2008

● 清水英雄先生のメッセージ


おふくろうまいものありがとう


白菜の漬物をポリポリ食べる
おふくろ自慢の
樽漬白菜
お百姓さんが丹精こめて
つくりあげた白菜を
いろんな八百屋で選別し
より優れた白菜を
おふくろ独自の漬けかたで
つくりあげたこの白菜漬
ポリポリムシャムシャホントにうまい

おふくろ自慢の白菜の漬物
おふくろうまいもの
ありがとう

おふくろの味 白菜の漬物
おふくろ
うまいものありがとう


Mom, Thank You for Your Delicacy

I enjoy crunching pickled celery cabbage.
This is a feather in my mom's cap.
This has been barrel-pickled.
Celery cabbages are cultivated with utmost care by farmers.
At several greengrocer's shops,
she selects those of higher quality
to pickle them in her own way.
These are fruits of much labor of my mom's.
Crunching and munching!
Tastes good!

This is her dish to proud of.
Mom, thank you for your dainty food.

The pickled celery cabbage tastes motherly.

Mom, thank you for your delicacy.


  (English translation: Takahiko Sakai)
  (English consultation: Frances Ford)


● 日本人の心の歌(その12)

・ (再掲載)
 
  赤とんぼ (1927)   三木露風作詞・山田耕作作曲

  英訳1:Greg Irwin
  Dragonflies [Akatombo]
       (Lyrics by Rofu Miki   Music by Kosaku Yamada)

    英訳2:中川一郎
    /Red Dragonflies
      (Rofu Miki / Kosaku Yamada)


1.夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
Dragonflies as red as sunset,
Back when I was young
In twilight skies,
There on her back I’d ride
When the day was done
/To the glorious colors red dragonflies belong,
      /When did I behold them as my mother carried me along?


2.山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだ は まぼろしか
Mountain fields, in late November
Long ago it seems
Mulberry trees and treasures we would gather
Was it only just a dream?
      /Was it just a slowly fading dream, when I was a child?
      /I picked up and gathered in a basket mulberries of the wild.


3.十五でねえや(姐や)は 嫁に行き(ゆき)
お里のたよりも 絶えはてた
Just fifteen, she went away one day
Married then so young
Like a sister, lost, I loved and missed her
Letters never seemed to come
      /How I miss the maid so kind who was married young,
      /How I love my infant days with the playmates I was among!


4.夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
Dragonflies as red as sunset
Back when I was young
Now in my eyes,
When I see dragonflies
Tears are always sure to come
      /To the glorious sunset colors red dragonflies adorn,
    /Don’t you see alighting on tops of reeds they sojourn?

  (英訳:Greg Irwin  /中川一郎)


・Mulberry trees and treasures we would gather 
貴重品,大切な品: 
art treasures (絵画・彫刻などの)名品、
He is a treasure to the teaching staff of our university.
彼はわが大学の教授陣に掛け替えのない存在である.


(考察)
「夕焼け小焼け」
にみられる
秋の季節感、
寂寥感、
しみじみとした心情、
すがすがしい清潔感―
元の日本語の歌詞に込められている
こうした日本人の心の原風景、情感、心情、心意気などを
どのようにして
英語の歌詞のなかに
うたい込めてゆけばよいのだろうか。

・夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
Dragonflies as red as sunset,
Back when I was young
In twilight skies,
There on her back I’d ride
When the day was done
/To the glorious colors red dragonflies belong,
      /When did I behold them as my mother carried me along?

Greg Irwin訳:
細部にわたる論理構造が
明瞭ないかにも英文という感じの訳
になっている。
Greg Irwinさんは、
この「赤とんぼ」の歌詞にでてくる
「小焼け」の意味が分からなかった、
翻訳は難しい、
と述懐される。
こういう日本の歌のなかに
織り込まれた四季の情景、
その季節感、
悲しさ、
寂しさ、
すがすがしさなどが
Greg Irwinさんを日本の歌のとりこにしてしまったようだ。


・山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだ は まぼろしか
Mountain fields, in late November
Long ago it seems
Mulberry trees and treasures we would gather
Was it only just a dream?
      /Was it just a slowly fading dream, when I was a child?
      /I picked up and gathered in a basket mulberries of the wild.

in late November
という補訳語句:
when時期を明瞭に表現したい、
という英語の表現論理が
ここにも見られる:
たいていの日本人には
たぶん明らかである
「赤とんぼ」の季節―「秋」。
この「秋」を、
Greg Irwin訳は
英語の歌詞の内で、
明白にしている―
補訳を加えて
Mountain fields, in late Novemberのようにしている。
単なる逐語訳では、
この歌の季節感が
英語圏の人々には、
多分つたわらないために、
このようにするのかもしれない。


・十五でねえや(姐や)は 嫁に行き(ゆき)
お里のたよりも 絶えはてた
Just fifteen, she went away one day
Married then so young
Like a sister lost, I loved and missed her
Letters never seemed to come
      /How I miss the maid so kind who was married young,
      /How I love my infant days with the playmates I was among!

「いずれも、名訳ですねえ。うまいですね。」:
「十五でねえや は 嫁に行き」のところで、
Greg Irwin訳は、
Like a sister lost, I loved and missed her
のような英語歌詞を補いながら、
元の日本語原詞の言外に込められた
情感を明瞭に訳出して
寂しい切ない気持ちを明言している。
Greg Irwin訳には
関係代名詞をほとんど使われていない。
ほんのときどき韻をふむためにthat
hatが使われているけれども。

このGreg Irwin訳は、
英語の論理・理屈

日本語歌詞のなかに込められている
季節感・寂寥感を
ないまぜにして
「論理と感慨」を
みごとに織り交ぜている
名訳英詞になっているように感じられる。


● 道元禅師からのメッセージ (その12)
    (大本山 永平寺 吉祥閣にて)


・直下承当(じきげじょうとう)

仏道の祈り

奇跡が起きることを望んだり
超能力を得ることを祈ったり
事業の利益を祈願する宗教もありますが
仏教は 世を導き人を助けることを願う宗教です
仏道の祈りは 親がわが子を思う祈りと同じなのです



仏道の祈り
  Aspiration toward the Buddhist Path

奇跡が起きることを望んだり
  There are some religions for hoping a miracle will occur,
超能力を得ることを祈ったり
  And some religions for praying
 to get supernatural abilities,
事業の利益を祈願する宗教もありますが
  And even religions for imploring business success.
仏教は 世を導き人を助けることを願う宗教です
  But the Buddha’s religion is a religion
 of seeking to guide society  and to serve people.
仏道の祈りは 親がわが子を思う祈りと同じなのです
  The aspiration toward the Buddhist path
  Means loving the whole universe as parents love their children.


  Aspiration toward the Buddhist Path

  There are some religions for hoping a miracle will occur,
  And some religions for praying to get supernatural abilities,
  And even religions for imploring business success.
  But the Buddha’s religion is a religion
  of seeking to guide society  and to serve people.
  The aspiration toward the Buddhist path
  Means loving the whole universe as parents love their children.

   (永平寺で求めた絵葉書集から。英訳者:不詳)


● 正心調息法と想念(致知 2002-9. pp18-23.)

・宇宙の心に心を澄ませれば人は百歳まで生きられる

  対談:塩谷信雄(医学博士、100歳)
       vs
      渡部昇一(上智大学名誉教授)

・正しく呼吸して正しい心の使い方をすれば
誰だって百歳まで生きられる。

・哺乳動物の寿命は成長期の5倍。
人間を人間たらしめているのは脳。
人間の脳の成長期は20歳まで。
だから5倍して百歳。

・前向き、感謝、愚痴らない
→この「正心」で抱く想念は実現する。

・正心(大切な心の使い方)とは:
 1.すべて前向きに考える
 2.感謝の心を忘れない
 3.愚痴をこぼさない。

・手を当てる治療:
「手当てする」という言葉があるように、
手を当てる治療は昔は普通だった。

・正心調息法:
酸素をいっぱい吸い込む「吸息」、
吸った酸素を下腹に押し込む「充息」、
それを下腹に力を入れてゆっくり吐き出す「吐息」、
そして小さな呼吸を一つする「静息」
をワンセットにして、
これを25回するのが基本。

・その時、想念を抱く、
イメージを描いて、
宇宙に宿る力(宇宙無限力)を取り込んで
宇宙と一体になる。
こうして描いたイメージは
必ず実現する。
「したい」
「なりたい」
ではなく
「した」
「なった」
という完了形による断言で
イメージすることが肝心
(自己への確信が充満して
思いは必ず実現する)。

・ゴルフ暦60年、
シングルプレー入りは
還暦を過ぎてから。
それからも飛距離は伸びて
80歳を越えて
200ヤードを飛ばすようになった。
87歳、92歳、93歳
と三回エイジシュート。

「エイジシューターになった」
と想念した賜物。


・歯:全部自前、
一本も抜け落ちていない。

・宇宙と人間は同じ。
人間は宇宙の縮小版。
人間は宇宙無限力に包まれた存在。


● 和田勝明先生からいただきました玉稿です。

   身の回りのことば
 ―意外な事実・見過ごしがちなこと―
 
 英語の brother や sister に
年齢の上下という含意はないが、
日本語の「兄」「姉」「弟」「妹」にはそれがある。
したがって、日本語使用者は
「共通の親から生まれた子」という
概念を持つとき、「年上か年下か」を
抜きに考えられないことになる。
同じ物に対する認識の違いが言語に現れている例である。
 しかし、次のような場合はどうであろうか。
英語の冠詞は、それについてくる名詞で指すものが、

@「話し手が聞き手にもどれかわかるはず」と思っているか、
A「どれかわからない」と思っているかを、
あらかじめ告げる働きをするものである。

I put it in t-h-e c-a-r.」と言えば、
話し手は聞き手に
「君にもどの車かわかっているものだよ」
と告げていることになるので、
聞き手はこの状況では塵のことだな、
と判断するわけである。しかし、
話し手が聞き手にはどの車かわからないだろうと思えば、
I want to buy a- c-a-r.
の ように言う。
しかし、日本語では、どちらの場合も「車の中においたよ」
「車を買いたい」と言う。だからといって、
日本人は英語を使う人のような区別をしていない
ということではない。
 しかし、ことば( = 言語 )というものが、
同じことばを使う人をひとつのグループとして、
他のグループの人と区別することは確かである。
先日、台湾の街角の書店をのぞいていた
ときに、
「考古題」という文字のついた本を何冊か見た。
一瞬、「発掘→歴史→台湾の先住民のこと」
という連想が働いたが、
どうも感じが違うのである。
それが日本でいう、
試験で過去に出題されたものを集めた
「過去問」のことであるということに気が付くのに
それほど時間はかからなかったが、
同じ漢字を使用していても、
台湾の人と日本人は異なる漢字で
同じものを表現することがわかる。
つまり、2つのグループということになる。
 逆に、同じグループ内で、
あることばが使われている状況が明確であっても、
一瞬「はてな?」と思う場合がある。
 先般、何十年ぶりかで勧修寺を訪れた時、
境内に「ここから先は自分の責任で行け」と
いう意味の立て札を見た。坂などがあり、
少し足元が悪くなっている所なので、
「転んで怪我をしても、寺は責任をとらないぞ」
と言っているのだ、とわかるまでに4〜5秒要した。
これは、外国でよく見かける、
"I enter the park at my own risk."
と確認させられるのと
同じ発想である。
しかし、ここは仏の寺である。
「慈悲」というものが根底に
あるはずなのに、
「こちらは知らんぞ」とはいかにも
そぐわないと思うのである。
「仏の加護があるから境内では怪我などしない」
とまで書いておいてもよいと思うくらいである。
私も仏を信仰する者であるから、
仏教や寺を悪く言うつもりはないが、
「何か変だな」という気持ちは今もある。
いっそのこと「ここから先はたちいらないでください」
とすれば済む筈と思うのであるが。
もっとも、昔はそういうところに立ち入って
怪我をしても寺を訴える人などいなかったと思う。
寺側でもこういうことはよくわかった上で、
法律が西洋化されたのでそれに合わせて
こう書いただけのことであろうが、
もしそうであれば、
やはり何か安直な気がするのを払拭できない。
 もっとも、こういう矛盾はどこにでもあることである。
「生き物を大切にしよう」と教えながら、
蚊が止まると容赦なくたたき殺す人もいる。
私が小学生の頃は、
「生き物を大切に」と教えながら、
蝿の撲滅運動の一環としてできるだけ
多く殺してマッチ箱に入れて
提出しなさいと言われたこともあった。
 同じ文化だと思っていても、
時代が違うと意外なこともある。
芭蕉の俳句に、
「枯れ枝に、鳥のとまりけり、秋の暮れ」
というのがあるが、
大学生に読んで聞かせ、
「鳥は何羽ぐらいとまっていると思うか」
と尋ねたところ、
「2〜3羽」から「4〜5羽」が多く、中には
「1羽」というのもあった。しかし、
この俳句に作者自らがつけた絵には
28羽の鳥が描かれていた。
私の感覚にしても学生たちに近い。
「秋の暮れ」→「淋しい」という連想は、
若者であれ私のような年齢層であれ同じなのである。
しかし、芭蕉は込み合った絵を残している。
学生にしても私にしても俳句に縁遠い生活をしているから、
本当に俳句がわかっているのかといわれれば
うつむくしかないのであるが。
こうなると俳句の鑑賞などといっても
なかなかに簡単にいくものではないと思えてくる。
時代が下がると←時間が経過すると)
文化も変わってくる。当然のことかもしれない。
 日本文化は「察しの文化」などと言うが、
いつまでどこまでそれが通用するかあやしい。
ケータイなどでメッセージを交換するが、
あまり多くの情報を盛れないからいきおい察し
を相手に期待することになるが、
これが学生を相手にするとうまくいかない。
これを機会に、直接的な表現に変えていこうかなどと
思うこともしばしばである。
ライシャワー博士もいうように、
コミュニケーションに成功するには
両方の文化をよく知っていなければならない。
相手が外国人であれば始から用心するが、
同じ文化で育った人となると
つい自分と同じだろうと思ってしまう。
現代のように、何事によらず、
考え方やものが多様化し、
解釈の仕方もそれぞれが勝手にすると、
察しても異なる察し方をしてしまうことになることが多くなる。
「おっとり刀」を「のんびりと刀をかまえる」と思っていたり、
「切れる人」を「すぐカッとなる人」のように思っている若者が
多いことはよく知られていることである。
 先日聞いた話で「ヘー」と思ったことがある。
「のるかそるか」という表現は、
「いちかばちか」という意味で、漢字では
「伸る か 反る か」と表記される。字義通りの意味は
「伸びるか、反対側に曲がるか」であろうが、
これがなぜ正反対の意味として使われるか
よくわからなかった。ある人の話だと、
古代インド語で NURUKA (地獄の神) と
SURUKA (天国の神) がその原義だということで、
それなら正反対の意味もよくわかるので
あるが。ついでに、その人の話だと、
自動車の「マツダ」もそれをつくった人の苗字から
とったのではなく、MAZDA (光りの神) から
とったものだそうである。そういえば、
古代ペルシアのゾロアスター教では、
アフラマズダとアーリマンという善悪二神が
対立するといったことを高校時代に
世界史で学んだことがある。
古代ペルシアも古代インドもともに
アーリア人の国であるから「マズダ」という神が
いてもおかしくないと思ったのである。
2007.12.10


● あとがき Postscript

「広報ふじさわ」(藤沢市の広報誌)にも英文が掲載されるようになりました:


小学絞国際理解協力員の募集

職務内容市内小学校における国際理解授業の支援、簡単な英会話指導等。
期間4月下旬〜2009年3月中旬、1日4時間程度(午前のみも可)。
対象市内および本市周辺に居住する英語を流ちょうに話せる外国人で、
大学を卒業し日常会話程度の日本語が話せる(できれば教員免許も取得)、
週2〜3日勤務可能で、適切なビザを取得している方。
募集人員若干名。
謝礼1時間2500円。
申し込み・問い合わせ
3月10日(月)〈必着〉までに履歴書を学校教育課(〒251-8601朝日町1-1) 内線5222、
fax (50)8424、Eメール=sidouka@city.fujisawa.kanagawa.jpへ郵送または持参で。
※書類選考後、面接し採用を決定します。



Board of Education seeking International Understanding and English
Instructor for
elementary school

Fujisawa City Board of Education is soliciting applicants for a part-time
instructor
of international understanding and English for elementary school pupils.
University degrees, native English speaker with teaching experience
and conversational Japanese preferred.
Proper visa needed. Living around
Fujisawa City.  \2,500 / hour, 4 or 5 classes a day
(It is possible that you will work only in the morning).
2 or 3 days a week.
Beginning at the end of April, 2008.
Ending in the middle of March, 09.
Please send or bring your resume
to Gakko-kyoiku-ka by March 10, 08.
Attention: Gakko-kyoiku-ka 1-1, Asahi-cho, Fujisawa-shi
〒251-8601
For further information: contact to Ms. Takaishi
at E mail: sidouka@city.fuiisawa.kanagawa.jp

● 写真:

写真: 「小満」の書画―落合勲さまからいただきました。


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