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● 相田みつをさん からのメッセージ (英文校閲:Frances
Ford)
浄玻璃の 鏡のまえに 立つまでは 秘めておきたし あのことも このことも
Until
the time when I stand in front of the mirror of "Johari", I want to keep that
matter and this matter as well to myself.
((The mirror of "Johari": The
mirror of Johari is said to be located at the King's office of Hell and to
reflect anything, right or eveil, that you have done in your life, when
you stand there after your
death.))
アレも コレも ほしがる なよ
Don't covet several
things at once.
体験して はじめて 身につくんだ なあ
You cannot
acquire skill in any art until you have experience in
it.
ふるいものを 出さなければ あたらしい ものは入ら ない
Unless old
wine is taken out of wineskins, new wine cannot be put into
them.
((Matthew 9:17 --- Neither is new wine put into old wineskins;
if it is, the skins burst, and the wine is spilled, and the skins
are destroyed; but new wine is put into fresh wineskins, and so both
are preserved.))
一生燃焼 一生感動 一生不悟
A lifetime of
passion, aglow and aflame; a lifetime of aspiration, touched and
touching;
and yet within one's lifetime, enlightenment, unattainable.
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● 文頭から読む英語 Slash Reading (Sight Translation)
1 学校英語でない英文の読み方
多くのビジネスマンにとって、月曜日の朝は緊張の一瞬である。あ る種の緊張感の漂う時間である。おびただしい数の電子メールやファ クシミリがビジネスマンの出勤を待っている。
ビジネスマンは、これを直読速解して、猛スピードで処理してゆか ねばならない。頭から英文の中味をとらえて、すばやくアクションを おこしてゆかねばならない。全世界的なネットワークを通して、おび ただしい英文ドキュメントが、世界中をかけめぐるようになってきて いる。時間は待ってくれない。英文をきっちりとすばやく理解できる こと、すなわち、英文のこころをきっちりと読みとることのできる力 は、とても大切なことになっている。
英語の達人と言われる大先生方は、リーディングをどのように位置 づけておられるのであろうか。
一昔前、松本 亨
先生は次のように述べられた(『英語の新しい学び 方』講談社現代新書、講談社、1965)。 「------学生に"Read, read, and
read."とすすめていますが、 英語の実
力をつけるのに、読むことを怠ったら全くだめです」 (p.21) 「もしもあなたが社会人なら------わたしのすすめることは、なには さておき、英語をお読みください、ということです。会話ばかりに重 点をおかないで、多読速読を身につけることです。手あたりしだい、 英書、英語の雑誌、英字新聞を読んでください。------
一日にすくな くとも、まとめて三時間は英語を読んでください。------」(p.192)
「もしもあなたが大学生なら------一日たりとも読むことを怠っては いけません。同じ本を二度読んでもかまいません。とにかく英語から 一日でも目を離さないことです。
Read, read, and read.
です-----」 (p.197)
松本先生は、1951年から22年間にわたって、NHKラジオ〈英語会 話〉講座を担当された。英語の神様と言われた「英語会話」の大先生も 「読んで
読んで 読みまくれ」という感じのこの言である。
『英語ひとすじの道』
(日本放送出版協会、1985)のなかで、東後勝 明先生は次のように述べておられる。
「英語の勉強で大切なことは、多くの量の英語に耳と目の両方から 多角的に接触し、そのことばに対する鋭いinsight
(洞察力)とこと ばに対する感覚を養っていくことです。多くの英語を読むことと聞く ことは、同時に大切であることをしっかり心に銘記しておいてくださ い」p.252)
東後先生は、1972年から1985年まで、NHKラジオ〈英語会話〉講 師を担当された。英会話といわれるものも、「読む」ことの裏打ちがあ ってこそのものだ、ということがよくわかる。
渡辺照宏先生は、『外国語の学び方』のなかで、次のように述べて おられる。(岩波新書、1962)
「読書の効果をあげるために、------大事なことは、読みながらあと戻 りしないことです。文章の順序どおりに追って行って、その順序で内 容を理解することです。------」(p.186)
「読書力は無限にのばすべきですが、よい読みものを、よい辞書を使 って、確実に4,000〜5,000ページ読めば、一応ものになると言われて います。------」(p.200)
4,000ページという一つの目安が得られる。一日10ページ読み込んで もゆうに一年以上かかる量である。しかも後戻りしない読み方で読ん でいくのである。
時間は無限に与えられているのではない。一生はたちまちの間に喰 いつくされてゆく。そういうなかにあって、本格的な英語使いの大先 生に、少しでも近づいてゆくにはどうすればよいのか、これが、時間 との戦いに明け暮れる、多くのビジネスマンやEnglish
Lovers にとっ ての緊急課題である。一日にまとめて少なくとも三時間もの英語を読 む時間をどうやって捻出するのか、ということになる。
『徒然草』のなかで、吉田兼好は言う。「もっとも大事な人生の大事 に、脇目もふらずに取り組め」と。そうでないと、「一生は雑事の小節 にさへられて空しく暮れなむ」と言う。つまり、「一生は雑事のこまご まとした義理人情に縛られ妨害されてむなしく暮れてしまう」という わけである。 ギリシャの時代に、セネカが言っている。「人生を短くしているの は、私たち自身である。人が時間を無駄にしている間に、人生は急ぎ 足で過ぎ去る」と。「これはよくやった」と言える時間のいかに少な いことか。
こうして確保した時間でも、「読んで 読んで
読みまくることので きる時間」には、なお、ほど遠いかもしれない。「手あたりしだいに 読みまくる」のではなくても、「有限の時間」内に、英語の感覚を養 い、洞察力を涵養していくことができる方法があるのだろうか。学校 時代に習ったことと、読んで
読んで 読みまくってゆくこと
との間 には、何か、もっとかくされているものがあるのだろうか。
2 英文マインドを頭からとらえていくと どんないいことがあるのだろうか
1.
英語の発想が身についてくる。 2. 英語を母語とする人の意識や思考の流れをとらえられるようにな る。 3.
英語のロジック、そして欧米社会の論理が身についてくる。 4.
英語のセンテンスのレベルを超えたところに、ある文章[談話]を結 束のとれた英文ならしめている広い意味のロジックや枠組みや機能 があることが、意識されてくる。個々のセンテンスをつなぐ文脈の 枠組みが見えてくる。 5.
頭から順次に意味をとらえていくのでリスニング(聞きとり)も楽に なる。つまりリスニングの力も伸びる。 6. いわゆる英会話が楽になる。 7.
英語の理解度が増すので、従前にもまして直読直解ないしは直読速 解できてゆけるようになる。 8.
英語を母語とする人の普通のスピードの英語を聞き取れるように なってゆく。 9.
いわゆる「英語で考える」という言葉の意味をある程度は理解する ようになる。つまり、返り読みの翻訳調の意味のとりかたではなく て、文頭から英語の流れや論理に従って読んで行くことが「英語で考 えている」ということにつながるのだ、と思い至るようになる。 10.
日本語の余韻を含んだ言い回しを理解できるようになる。 11. 日本語と英語の間に介在する発想や思考の違いや共通性に気がつ いてくる。 12.
余韻のある日本語を論理的な言い回しに転換・再構築できるよう になる。 13. 余韻のある日本語の英語への転換・翻訳ができるようになる。 14.
ロジックのある、斬れる英語を書く力が伸びる。 15. 英語を話す力が伸びる。 16.
書き手の声なき語りを聞くようになる。活字が躍りだしてくる。 英文にリズムを感じて来る。リスニングとリーディングとの相乗効 果を意識するようになる。英文を直読しながら、書き手の表情やし ぐさも見えてくるようになる。 17.
言葉に対する感性・感覚・洞察力が鋭くなる。 18. 日本語を見つめなおし、日本語の美しさを認識できるようになる。 19.
日本人としてのアイデンティティを再認識するようになる。 20.
「外国語を知らない人は、自分の言葉もほんとうに知らない」とい うゲ−テの言葉の意味も理解するようになる。
このうちの第4項について、大島
真先生が次のように述べておられ る。(「現代英語教育」1989年11月号、p.35 研究社) (a) John helped Mary solve
the problem. 「太郎は花子がその問題を解くのを手伝った」 (b) She could not after all solve
it. 「やっぱり、花子はその問題を解けなかった」 (c) *John helped Mary solve the problem, but she
could not after all solve it. (b)は独立した文と考えられるから、この she は Mary
を指示して いるわけではなく、また it は the problem を指示しているわけでも ない。しかしひとたび(b)が(a)に接続されると
She は Mary を指示す ることになり、it は the problem を指すほかはなく、しかも after
all というのは、すでに何かを 暗黙のうちに指しているという意味機能を もった語句であるので、そのために but の前後で help
の意味に関し て矛盾が生じ、(c)は非文となる。すなわち、非文か非文でないかは文 脈の作り出す意味ということになる。 日本語の「手伝う」というのは「手伝う」という行為に焦点のある動詞 なのであって、その結果に関心を示さないという意味特性を持ってい る。それに対して
help は help した結果、何かが成就したことを含 意するという意味あいをもった動詞である。従って、「問題を解くのを help
した」ということは「問題が解けた」ということが含意されている。
そのために、(c)では but
の前後で意味的に矛盾が生じ、非文となっ てしまうのである。
以上が、大島 真先生の述べられている
骨子である。英文を読んで いくということは、文脈のある文章を読んでゆくプロセスである。文 レベルの文法ももちろん大切であるが、文章(談話)により多くの焦点 をあてた機能文法・談話文法の考え方を意識してゆくと、リーディン グに一層の弾みがついていく。 なお、大島先生は、この談話文法の考え方について『談話文法研究』 (リーベル出版、1992年3月初版)でくわしく解説されている。 英語使いの達人の大先生方は、たいてい、英文を読み込んでゆくこ とが大切である、と力説される。多くの大先生方は、学校時代には、 文レベルを主なる対象としているいわゆる伝統文法を習われたのでは ないのだろうか。こういう先生方が、その後、たくさんの英文を読み こまれて、そしてその結果、言われる言葉が、「英文がみえてくる」 とか「英文の論理がみえてくる」とか「語感が身についてくる」とか 「洞察力がでてくる」いう金言であるように思われる。 これは、何を意味しているのであろうか。大先生の方々は、ひょっ としたら意識されずに、おそらくは、知らず知らずのうちに、文レベ ルの枠組みを超えた談話[文章]レベルの枠組みをも体得されていた、 ということがその一つの理由ではないのだろうか。文と文とをつなぐ 枠組み、機能のようなものは従来はあまり注目されていなかった。私 どもは、この点にももっと焦点を合わせてゆくことによって、もっと 短時間の間に、英語を頭から読みこなせる達人の境地に達することが できるかもしれない。
18・19・20項に関連して、「私の生きる道は英語にあり、英語の中で 一生を過ごす」と言われた
松本 亨 先生は、次のように述べておられ る。(『英語と私』 英友社、1989 (改訂16版)、p.238)
To know is to
love. The better I know Japan, The more I love
her.
知ることは愛することである。 日本をよく知れば知るほど、 私は日本を愛するようになる。
千野栄一先生が言っておられる。「自分はこの外国語で何語覚える か、を定めるのである。そして、このことにより、ゴールがないよう 見えた単語の習得にいくつかの関門をもうけ、その一つ一つの関門を ゴールと見たてて、そこを突破したときお祝いを盛大にすることが必 要である。」
(『外国語上達法』
岩波書店、1986)。 リーディングもまた同じである。最初のころは、単調に思える「リー ディング」を楽しみに変えてゆきたいものである。限りない先にあると 思われる「達人」の境地にむかって、「一合目、二合目、------、九合目」
などの中継点をもうけて、それぞれの中継点に到達したら、楽しいお 祝い会を開いていったらどうであろうか。 "Ever onward,
step by step, always forward."
である。そして、中 継の宿に着いたら、宴を開き、次の出発への新たなる闘志をかきたて てゆくのである。そしてついには、「日本語と英語の心からの愛好者」
になってゆきたいものである。
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● あとがき Postscript
SydneyのDarling Harbour地区の一画に The Outback
Centreと呼ばれる観光スポットが ありました。
The Outback Store offers Sydney's largest
collection of Australian products including Aboriginal arts and
crafts, clothing, music, books, maps, didgerridoos, boomerangs and gifts.
Australia's Outback Gallery exhibits contemporary work from the leading
Aboriginal art centers of Australia, including paintings, sculpture, glass
and fine art
prints. 豪州の先住民Aboriginalの逸品を拝見できるところでした。
この館のなかの音楽堂=講堂のようなところで、 Sounds
of the
Outback と称するdidgeridooの30分の生演奏のショーが 開かれていました。(毎日3回、開かれるということでした) アウトバックと呼ばれるオーストラリア内陸部への 音楽と映像による旅を体験できる無料のショーでした。
サウンド・オブ・ザ・アウトバック:
ショーはディジェリドゥーの演奏で 「レッド・センター・レプリーゼ」のゆったりとした
音色にのって始まりました。
ウルル(エアーズロック)の夕日、
キングス・キャニオン、
デヴィルズ・マーブルズ、
シンプソン砂漠、
レインボー・バリーなど、
アウトバックの壮観な映像の旅に案内いただきました。
演奏者は、数千年もの昔に遡り、
ディジェリドゥーの由来について説明しました。
ディジェリドゥーはユーカリの枝の
空洞になっている部分を使って作られます。
白蟻が地底からユーカリの根に入り込み、
木の柔らかい髄を徐々に蝕み、
幹や枝が空洞になります。
アボリジニは手で叩いて枝の中が空洞かどうかを見極め、
手ごろな枝が見つかると、
適当な長さに切り
(この長さがディジェリドゥーの音色の決め手となります)、
外側の樹皮を剥がします。
仕上げには表癒に色を塗って飾り付け、
マウスピースに蜂のワックスを塗って出来上がりです。
ディジェリドゥーの吹き方も説明してくれました。
まず基本になる音を出すために、
ディジェリドゥーをソフトに吹き、
そして、声帯から発声して、
色々な動物の鳴き声を奏でました。
クッカバラ、ワシ、ディンゴなど、
オーストラリア特有の動物や野鳥の音色に
耳を傾けることができました。
ディジェリドゥーの演奏で一番難しいのは
「循環呼吸」のテクニックです。
演奏者は低音を持続しながら、
鼻から。息を吸う方法を見せて
くれました。
「チェインジング・フェイス」と
「カラーズ・オブ・ザ・ロック」
というタイトルのすばらしい曲、
2曲が奏でられて、
ショーはフィナーレとなりました。
● あとがきの2
三澤一敞さん(工学博士、京都市)からいただきました お便りを下記させていただきたくお願いいたします。
三澤さんと不肖坂井は、 この三月に京都外国語大学で開かれました 大学英語教育学会の辞書学ワークショップで、 ともに英語の辞書に関する研究発表の機会をいただきました。 京都でのひととき、心優しい控えめな三澤さんと 旧交をあたためることができまして 楽しい時間をすごすことができました
>
湘南通信ありがとうございました. > > 12. WHEN IT'S LAMP-LIGHTIN' TIME IN THE
VALLEY > 谷間に灯ともし頃 > > は,小学校のころよく歌っていたのをを思い出しますが, >
2番,3番の訳詩がないとは知りませんでした. >
貴訳を参考に拙訳を試みてみましたのでご参考までに. > > >> (1) There's a lamp
shinin' bright in a cabin > In the window it's shinin' for
me, > And I know that my mother is prayin' > For the boy she
is longin' to see. > 黄昏(たそがれ)に わが家(や)の灯(ひ) >
窓に映(うつ)りし時 > わが子かえる日祈る > 老いし母の姿 > > When it's
lamp-lightin' time in the valley, > Then in dreams I go back to my
home > I can see that old lamp in the window > It will guide me
wherever I roam. > 谷間灯ともしころ > . いつも夢に見るは > .
あの灯 あの窓恋(こい)し > ふるさとの わが家 > > >> (2) In the lamp
light each night I can see her, >> as she rocks in her chair to and
fro. > Though she prays that I'll come back to see her, >>
still I know that I never can go. > 夜ごと窓のともしび >
椅子に母は揺れて > わが帰る日祈れどわが帰る日祈れど > もはや我は帰らじ
> >> >> (3) So she lights up the lamp and
sits waiting, > for she knows not [=does not know]the crime I have
done. > So I'll change all my ways > and I'll meet her up in
Heaven when life's race is run. > 灯ともして待つ母は >
わがなしし罪を知らず > われ道変へて母を >
神のみ許に待たん
(3) >> When it's lamp-lighting time in the
valley, >> then in dreams I go back to my home. > I can see
that old lamp in the window. > It will guide me wherever I roam. >
谷間灯ともしころ > . いつも夢に見るは > . あの灯 あの窓恋(こい)し >
ふるさとの わが家 >
● あとがきの3
横浜市歌
佐藤翔郎さん(調布市)から 教えていただきました:
市歌のフルテキスト下記します;
森 林太郎<鴎外>作詞、 南 龍衛作曲.
♪
わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に 連りそばだつ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや むかし思えばとま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ
今はもも舟もも千船 泊まる処ぞ見よや 果てなく栄えて行くらんみ代を 飾る宝も入り来る港 Refrain
♪
● あとがきの4
前回の写真:山崎正昭様からいただいた「ギョイコウ」 につきましての補足です:
山崎さまは、毎年、 新宿御苑で 写真展を開かれていて。 武蔵野写真クラブ という会を結成されていて。 国内外に写真旅行をされていて。 さまざまの山岳、 風景、花々、生物のお写真をおおくり いただいております。 このクラブにはプロ写真家も数人所属されて おられて、みなさますてきなご交流をされて おられるということです。 英語の集まりも楽しいものですが、 写真を愛好されるかたがたの こうしたご交流もすばらしいなあ、 とおもいます。
「御衣黄」の説明: Wikipediaからです―
ギョイコウ(御衣黄)は、 サクラの栽培品種である。 開花時期は ソメイヨシノより遅めの4月中旬〜下旬頃。
花弁は肉厚で、 大きさは中輪〜大輪の八重咲き。 色は白色から淡緑色である。 中心部に紅色の条線があり、開 花時には目立たないが、 次第に中心部から
...
● あとがきの5 落合薫さまからの 24節気「芒種」のおたより: 「こころの書画」をいただきました。
地に 生きる いのち あり
ドングリ あせるな ゆっくり のびろ ことしは 暑いぞ しゃんと しろ (名古屋 白鳥庭園にて)
ユリ・ハイショウブ・テッセン キンシバイ・ドクダミ 梅雨を待ってみんなイキイキ 庭園を創る人の 自然と時間を知り尽くした 感性におどろく。 せっかく芽吹いたのに 間引きされるカシの若木 かくして我が家のベランダへ 移りいのち輝く!
※ 落合様、すてきなおたよりをありがとうございます。
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